東アジア文化都市2019豊島マンガ・アニメ部門スペシャル事業

マンガ・アニメ3.0

【IMARTレポート】
[基調講演]
「手塚プロダクション代表取締役社長 松谷孝征」松谷孝征

 「東アジア文化都市2019豊島」マンガ・アニメ部門スペシャル事業のクロージング企画、マンガ・アニメの未来を作るフェスティバル「国際マンガ・アニメ祭 Reiwa Toshima(IMART)」が、2019年11月15日(金)〜17日(日)にかけて、豊島区役所本庁舎にて開催された。
 開催初日となる15日18時30分からは、開幕セレモニーに続き、手塚プロダクション代表取締役社長である松谷孝征氏による基調講演が行われた。手塚治虫が暮らしていた「トキワ荘」のある豊島区で、マンガ・アニメ文化の持つ国際的な広がりと豊かさについて、思い出を交えながら語った。その模様をレポートする。(編集部)

マンガ文化が発展したワケ

 IMARTの開幕セレモニーに登壇した手塚プロダクション代表取締役社長 ・松谷孝征氏は、今年9月にブラジルのマンガ家マウリシオ・デ・ソウザ氏から誘いを受けて現地を訪れたときのエピソードに触れた。
 マウリシオ氏や彼のスタジオのアニメーターたちは、虫プロダクションとも縁のある京都アニメーションで起きた事件に心を痛めており、「われわれは京都アニメーションの映画の青い空に憧れたんだ。あの空を見てアニメを作りたいと思った」という言葉を託されたと明かした。さらにブラジルの国民的マンガ『モニカと仲間たち』のキャラクターたちが青空を見上げている4枚の色紙を手渡されたという。
 帰国して京都アニメーションに色紙を届けた松谷氏は、遠く離れたブラジルに住む人々が日本の作品に親しみを感じていることを知り、かつて手塚治虫がよく話していた「マンガ・アニメは国境を越える」という言葉を思い出したと伝えた。

 

 松谷氏は戦後に日本のマンガ文化が発展した理由は三つあると語る。
 一つ目として、様々な書籍を手がける大手出版社がマンガ雑誌を作ったことを挙げた。1959年に講談社が『週刊少年マガジン』、小学館が『週刊少年サンデー』を創刊したが、当時はマンガの地位が非常に低かった。マンガ編集部に配属された編集者も、もともと小説などほかの分野に興味を持っていた者がほとんどだったという。だがそういった人たちが「大人を満足させるようなマンガを作ろう」と躍起になり、マンガ家たちにバラエティ豊かなアドバイスを送ったことが、作品の豊かさに繋がっていった。
 医学を学んでいた手塚も、後輩たちには「マンガ家になりたいのなら、マンガで勉強をするな。いい小説をたくさん読んで、いい音楽をたくさん聴いて、いい舞台をたくさん観るんだ」と、幅広い視野を持つことの大切さを説いていたという。
 二つ目として、ベビーブームのときに生まれた団塊の世代たちが、少年誌という新しい媒体を受け入れて部数が伸びていったこと。そして三つ目として、「手塚治虫がいたからだ」と断言した。「これは私が手塚プロの人間だから言うわけではないのですが……」と笑みを見せながら、手塚がしっかりとしたテーマを持った作品を描いたり、マンガの地位を上げるためにテレビ番組に出演したりと、多くの活動に尽力してきたことを紹介した。

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