東アジア文化都市2019豊島マンガ・アニメ部門スペシャル事業

マンガ・アニメ3.0

【IMARTレポート】
[基調講演]
「手塚プロダクション代表取締役社長 松谷孝征」松谷孝征

マンガ・アニメは国境を越える

 基調講演では手塚のアニメーション作品も参考上映された。まずは1970年の大阪万博のために制作された『おかしな一日』。セリフが一言もない作品だが、動きだけで時間の大切さを描いていることが伝わるようになっている。
 続いては『鉄腕アトム』のオープニングアニメーションから3本、1963年放送の第1作、1980年放送の第2作、2003年放送の第3作が上映された。第2作のOPを観た松谷氏は「一番苦労したのに、私の名前は載ってないんです」と思わず口にして、会場の笑いを誘う一幕も飛び出した。
 『鉄腕アトム』が日本初の30分連続TVアニメとして成功したことについては、原作のストックが充分に用意されていたことや、作画枚数を減らすためにリミテッド・アニメーションの手法を追求し、新たな表現を発見していったことが理由だろうとコメント。最後は手塚の死により未完となったアニメーション『森の伝説』を上映、アニメーションの歴史をストーリーに織り込んだ壮大な作品で、手塚が多彩な手法にチャレンジしてきたことを再確認した。

 

 松谷氏は手塚が大阪大空襲で九死に一生を得た経験から、平和についての強い思いを抱いていたことの重要性も指摘する。手塚は戦争が起きるのは相手をよく理解していないからだと考えていたため、国際交流を何よりも大切にしており、子どもの頃に観た中国のアニメ映画『鉄扇公主』の万籟鳴をはじめ、多くの作家と交流を深めていった。「マンガ・アニメは国境を越える」という言葉を自らの行動でも実践していたのである。
 手塚は1989年に60歳で亡くなるまでに、15万ページのマンガ原稿を描き、70タイトル以上のアニメを発表した。松谷氏が聞いた最後の言葉は、病に伏せながらも起き上がろうとしたときに発した「頼むから仕事をさせてくれ」という懇願だったという。「アニメーションとマンガを文化として認めさせたい。子どもたちに戦争の悲惨さ、平和の大切さ、命の尊さを伝えたい。そういった思いがものすごく大きかったのでしょうね」と振り返った。

 

 手塚の死から30年が経ち、今では国や自治体がマンガ・アニメを文化として認めて、支援するようにまでなっている。松谷氏は「それは手塚治虫だけでなく、出版社やアニメプロダクションをはじめ、多くの人々のがんばりがあったからだと思います」との言葉を送り、1時間以上にわたった講演は盛大な拍手の中で幕を閉じた。

 

文:高橋克則

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