東アジア文化都市2019豊島マンガ・アニメ部門スペシャル事業

マンガ・アニメ3.0

子ども心こそがマンガ・アニメの原点である
――富野由悠季が語る、豊島区の果たすべき役割富野由悠季インタビュー

 2019年6月22日、『機動戦士ガンダム』の生みの親である富野由悠季監督の業績を総覧する展覧会「富野由悠季の世界」が幕を開けた。日本初の30分TVシリーズ『鉄腕アトム』からアニメ制作に関わり始め、2014~15年にもTVアニメ『ガンダム Gのレコンギスタ』の総監督を務めるなど、50年以上にわたり日本アニメ史の第一線を走り続けてきた。そんな富野監督のインタビュー映像が、7月5日から11月24日まで、豊島区庁舎4Fのまるごとミュージアムで開催される東アジア文化都市2019豊島のスペシャル事業「マンガ・アニメ区役所」の会場内にて上映される。
 本記事はそのインタビュー映像の採録である。富野監督の考える「マンガ・アニメの力」とはどんなものであるか、それに対して豊島区はどのような役割を果たしてきたのか、果たすべきなのか。富野監督らしい叱咤激励の言葉をお届けする。

聞き手:山内康裕、構成:高瀬康司、高橋克則

豊島区が育んだ幅広いアイディア


 マンガは今から70年以上前、戦後の苦しい時代の中から再出発した子ども文化として存在していました。その中心地が、東京の中でもこの豊島区周辺でした。東京の都市でありながら農村地帯に隣接し、商業的にも文化的にも曖昧な地域だったこともあって、まず新しい産業として映画スタジオが建設され、その次に移り住んできたのがマンガ家たちでした。
 マンガも映画と同じように、娯楽としては上等なものではありませんでしたが、一般の人々と、何よりも子どもたちが支持してくれたおかげで、今日まで生き残る表現媒体になりました。マンガがこれほどまでに受け入れられたのは、雑多な要素が入っていたからです。豊島区は農村的かつ工業的な地域でしたし、そこにやってきたマンガ家を目指す若者もさまざまな地方から集まってきていました。そういう場所でそうした人々が夢物語を考えたからこそ、単一の思考からは生まれない幅広いアイディアが出てきたのです。
 加えてマンガ家を目指した若者たちは、結局のところ好きなことをやりたいという気持ちが強いわけで、生み出された作品には、無節操な夢と希望も多分に含まれていました。だから、マンガは文化的なものではなく、人の生理や欲望、欲求を表現するものだった。そういうものでしかなかったのです。
 しかしそれらが逆説的にマンガやアニメの原動力となって、社会から広く認知され、今日では日本のみならず国際的な評価を得るまでに至りました。

豊島区が発信するべきメッセージ

 現代、マンガやアニメをエンタメやキャラ萌え、コスプレといったわかりやすい部分に落とし込んで済ませている官公庁の大人たちには、違和感を覚えています。
 今後の課題は「現実がマンガ・アニメ以下にならないようにする」ために、「作品に子ども心を揺さぶるモチベーションを封じ込めて、みんなで共有できる広場を作っていく」ことだとぼくは思っています。
 今言ったことは極めて観念的です。マンガやアニメがグローバルな存在になったときに重要なのは、ワールドワイドな感覚ではなく「地域性」と「個性」です。個性は、それぞれの地域の特色を活かして出てくるものだと思っています。そうしてアーティスト一人ひとりの初心な発想が、未来を拓いていくのだと思います。
 大人主導のリーダーシップでは、マンガやアニメが持っている力は削がれてしまい、現実の世界にマンガ・アニメ以下のものを持ち込むということが起こってしまいます。だからこそ、子ども心こそが原点であるということは、絶対に忘れないでほしいのです。
 長年にわたって人気を博しているタイトルを見てください。そこにはただのエンタメではない、子ども心を揺さぶる力があります。マンガやアニメが素晴らしい媒体なのは、表現がわかりやすく、子どもにも読み解きやすいからです。幼い頃に出会ったもの、刺激を受けたものは、人生に決定的な影響を与え続け、死ぬまで忘れることはありません。なぜかと言えば、そこでは一般社会が言うところの力の真理、権利の真理、美学の真理が語られているからです。
 たとえば一見チャチに聞こえる「百万馬力」という表現がありますが、これは子どもの夢や理想を語った言葉です。そしてその夢や理想を実現するのが、大人の役目なのです。
 大人になってしまった人たちは、自分が子どもの頃に夢見ていたことは何なのかを思い出すために、マンガやアニメを見直していただきたい。子ども心に触れることによって、ワールドワイドになっていくマンガやアニメを、より優れた媒体にするための道筋を作れると信じています。そのような意識を持つことが、マンガやアニメの先進地帯である豊島が発進するべきメッセージではないかと思います。

子どもたちへメッセージを届けたい

――今の子どもはマンガ・アニメなどの作品ではなく、インターネットなどの情報デバイスに接する時間が増えているとされます。このことについて、富野監督はどのようにお考えですか?

 

 最悪だと思っています。今はネットでいろいろなことが簡単に調べられる……かのように見えます。しかしWikipediaが有効なデータが発信しているかと言えば、ぼくはかなり懐疑的です。ましてSNSで連絡を取り合うことで他人とコミュニケーションができているように思えてしまう、その発想は安易です。だから犯罪に繋がる事件も起こっているわけです。

 先日、新聞で典型的な事例を目にしました。今は水道をヒネることもなく水が出ます。それが何を奪ってるのか。子どもたちの握力です。握力が劣化してしまっている。またお母さん方が、言うことを聞かない子どもをなだめるためにゲーム機を与える。その結果どうなるか。親子の関係が希薄になってしまう。これらは全部、便利さを安易に求める大人たちによる大人的な発想が生んだ弊害です。20~30年後には、今よりもっと大きな社会問題になっていくのではないのかと思います。 私たちは道具から切り離した教育というものをしなければいけない。そんなところに来ているとぼくは思います。しかし今は、文科省の方針で義務教育のレベルでもPCが導入されていて、基本的にその流れを止めることはできません。

 今みたいな話は山ほどできるんですよ。インターネットによって価値が多様化している、なんて洒落臭いことを言っている人がいますが、多様化なんてしていませんよね。能力を小さく収めていっているという意味では、ひょっとしたら全体主義的になっているのかもしれない。人を全部同じようにしていく機能を果たしているのが、今のネットなのではないかという気さえします。

 だからお話しした通り、「子ども心」とはそういうものに影響されていない心のことなんですよ。子ども心が持っている夢や希望やロマンというのは、とんでもないものなんです。そのとんでもないところに根ざしていくということを、われわれはもう少し意識していかなければいけないのではないかと思います。

 こういう話は小中学生にこそ聞かせたいですね。今は訳がわからなくていいんです。「あのジジイ、変なことを言ってたよね」ということを記憶してくれればありがたいなと思います。世の中には雑多なことを考えている人がいっぱいて、そこから出てくるものが一番力を持っている。だからそういうところから生まれた発想こそが、30年後、50年後に表に出てくるんです。

 

聞き手:山内康裕、構成:高瀬康司、高橋克則

 

富野 由悠季(とみの よしゆき)【アニメーション映画監督・原作者】
1941年生まれ。小田原市出身。日本大学芸術学部映画学科卒業後、虫プロダクションに入社、TVアニメ『鉄腕アトム』の演出を経てフリーに。日本の様々なアニメーション作品の絵コンテ、演出を手がける。主な監督作品に『海のトリトン』『無敵鋼人ダイターン3』『機動戦士ガンダム』『伝説巨神イデオン』『ガンダム Gのレコンギスタ』などがある。また、自身の作品の楽曲の作詞、小説の執筆なども手掛ける。一般社団法人アニメツーリズム協会会長を務める。2019年6月より、全国の美術館を巡回する「富野由悠季の世界」展が開催中。

展覧会「富野由悠季の世界」が、6月22日(土)より福岡市美術館で開催中。全国6箇所を巡回予定となっている。

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