東アジア文化都市2019豊島マンガ・アニメ部門スペシャル事業

マンガ・アニメ3.0

アニメ系ニュースサイトはどのように成立したのか(前編)
――アニメーション、インターネット、ジャーナリズム数土直志インタビュー

 アニメの本数が増加し、インターネットが普及した2000年代、数多くのアニメ系ニュースサイトが開設された。まだWeb上でアニメのニュースを扱うことが珍しかった時代に、先駆者はどのようにしてその規模を拡大し、ビジネスに繋げていったのだろうか。
 今回は2004年にアニメ系ニュースサイト『アニメ!アニメ!』を立ち上げ、現在も『アニメーション・ビジネス・ジャーナル』を運営し、また2019年11月15日~17日に開催される「国際マンガ・アニメ祭 REIWA TOSHIMA(IMART)」ではアニメに関するカンファレンス スペシャル・アドバイザーも務める数土直志氏に、「アニメとWebメディア」をテーマにお話を聞いた。ニュースサイト設立の経緯から企業への譲渡と独立、さらに今後の展望まで、アニメとネットの変化を目撃してきた数土氏の言葉を通じて、現在もなお変化し続けるアニメをめぐるWebジャーナリズムの存在に迫る。

 

聞き手:高瀬康司、土居伸彰、構成:高橋克則

メキシコ生まれ、イデオン育ち


――いきなり余談的な質問なのですが、プロフィールに「メキシコ生まれ」と書かれていますよね? 前から気になっていたのですが……。


数土 メキシコ生まれであることを公表する必要はまったくないんですよ(笑)。父の赴任で現地で生まれただけで、メキシコで暮らしていたのは3歳までなので、当時のことはまったく覚えてないですからね。でもそういった人目を惹く情報を表に出しておけば、今回のように話の取っかかりになって場の空気が和むんです。単にそれだけの理由ですね(笑)。


――(笑)。では子ども時代はどんなアニメを観ていたのでしょうか? メキシコにいる頃から観られていた?


数土 両親が言うには、物心が付く前にメキシコの放送で『ウルトラQ』(1966)を観ていたらしいです。でも僕の記憶には残っていませんし、『ウルトラQ』が本当に放送されていたのかも疑問だったのですが、『パシフィック・リム』を手がけたメキシコ出身のギレルモ・デル・トロ監督が「子どもの頃に『ウルトラQ』を観ていたよ」と話していたので、どうやら事実みたいです(笑)。
 アニメを本格的に見るようになったのは日本に来てからですね。僕の父はSF好きで、本棚にはアーサー・C・クラークやアイザック・アシモフなど、オーソドックスなSF小説をズラリと並べていました。そのためアニメにも興味を持っていて、『海のトリトン』(1972)や『宇宙戦艦ヤマト』(1974-75)は本放送のときに一緒に観ていたんです。自分の中に「僕はアニメファンなんだ」という意識が芽生えたのは、『機動戦士ガンダム』(1979-80)を観たときで、本格的にハマった作品は『伝説巨神イデオン』(1980-81)です。もし『イデオン』がなかったら、現在のようにアニメに関わる仕事はしていなかったでしょうね。


――『イデオン』のどこに惹かれたのでしょうか?


数土 富野喜幸(現・富野由悠季)監督の得意技である、いくつもの話が同時並行する作劇が素晴らしいんです。最も印象に残っているのは第32話「運命の炎のなかで」ですね。サブキャラクターのラブストーリーが主軸になっていますが、合間に主人公と敵の陣営にも内部抗争があることを描いていて、三つの出来事が互いに絡まりながらそれぞれドラマとして決着するのを、わずか22分の中に収めるという見事な手腕に驚かされました。はじめて観たときは思わず溜息が漏れてしまうほど感激しましたね。


――アニメに対して、作品や作家ではなく、ビジネスという観点で興味を持ち始めたのはいつ頃でしょうか?


数土 高校からはしばらくアニメを離れていて、証券会社に就職後、『カウボーイビバップ』(1998)をきっかけに戻ってくるのですが、大学時代くらいからですかね、お金について調べることが大好きだったんですよ。誤解してほしくないのですが、好きなのは「お金」自体ではなく、「お金の話」。つまり物事がどのように成り立っているのかという仕組みに関心があるんですよ。大学生の頃は現代美術が好きだったのですが、そのときも美術館はどのように運営されているのか、ギャラリーはどうやって集客しているのか、クリエイターへの支援はどうなっているのかなど、アートマネージメントのことばかり調べていたんです。アニメも一緒で、「なぜこの作品の企画が成り立って、私たちに届けられているのだろうか?」ということを追究していたら、自然と現在の仕事に繋がっていきました。

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