東アジア文化都市2019豊島マンガ・アニメ部門スペシャル事業

マンガ・アニメ3.0

電子化の波とともに変革期を迎えた
2010年代漫画産業(前編)菊池健インタビュー

 「東アジア文化都市2019豊島」マンガ・アニメ部門スペシャル事業のクロージング企画、マンガ・アニメの未来を作るフェスティバル「国際マンガ・アニメ祭 Reiwa Toshima(IMART)」が、11月15日(金)〜17日(日)にかけて豊島区庁舎を中心に開催される。その漫画に関するカンファレンス スペシャル・アドバイザーを務めるのが、菊池健氏だ。「トキワ荘プロジェクト」アドバイザー、「京都国際マンガ・アニメフェア(京まふ)」の立上事務局メンバー、漫画レビューサイト「マンガ新聞」ディレクターなどを務められてきた菊池氏に、2010年代の「漫画産業」の変遷をうかがった。

 

聞き手:山内康裕、高瀬康司、構成:高瀬康司、高橋克則

漫画家になりたい人を支援する


――菊池さんはこれまで、多種多様な漫画関連の企画に携われてきました。今回はご経歴を順に追いつつ、それぞれの時期における「漫画産業」の変遷についてもうかがえればと思っております。外資系コンサル、板前、ITベンチャーを経て、菊池さんがはじめて漫画に関わられたのが「トキワ荘プロジェクト」ですが、まずはその簡単な概要からうかがえるでしょうか。


菊池 「トキワ荘プロジェクト」は漫画家を目指す若者に低家賃のシェアハウスを提供する支援事業として、2006年にスタートしたプロジェクトです。私は2010年から2017年まで関わっていました。


――漫画家志望者への支援として、住居の提供という形を取ったのはなぜですか?


菊池 東京は漫画家になりたい若者たちが全国から集まってくる場所なんですよ。特に00年代の頃はまだSNSも普及していませんから、漫画家になるためのルートが今よりも限られていて、基本的には新人賞に応募するか、出版社に直接持ち込みをするしかなかった。そのため地方在住者の中には、出版社が集中している東京に移り住んでスキルを磨こうと考える人がたくさんいたわけです。しかしそれが悪循環を起こしていると思ったんです。


――悪循環というのは?


菊池 東京はとにかく家賃が高いですよね。だから漫画家になる以前に、まずはバイトをして日銭を稼がなければ生活ができません。漫画家のアシスタントになって、腕を磨きながらデビューの機会を窺うという道もありますが、それはすでにある程度スキルを持った人に限られます。そのため、絵を描くこととはまったく関係のないバイトをしている人が多かったんです。


――つまり漫画家を目指して東京に来たはずなのに、バイトに時間を取られて肝心の漫画を描く時間がなくなってしまう、という悪循環があったと。


菊池 そうです。また上京組の中には周囲に仲間のいない人も多くて、漫画家になるためにはどうすればいいのか、どの程度のスキルが必要なのか、自分はどのレベルにいるのかを把握することが難しかった。しかし漫画家志望者が集うシェアハウスがあれば、家賃が低く抑えられるうえ、同じ目的を持った者同士で競い合い、自分の立ち位置も見定められるわけです。


――「トキワ荘プロジェクト」からプロデビューした作家はどのくらいいるのでしょうか?


菊池 現在は読切も含めれば100人以上がデビューしています。『潔癖男子!青山くん』の坂本拓さんや、『魔入りました!入間くん』の西修さんなどアニメ化された作品を手がけた方もいますし、西村ツチカさんなど個性的な作家や、『こぐまのケーキ屋さん』でブレイクしたカメントツさんもプロジェクトの出身者です。
 もちろん全員が漫画家デビューできるわけはなく、自分より才能のある人がプロになれないという現実を見て諦める人もいますが、早めに見切りを付けられるというのも重要なことだと思っています。また漫画家を諦めた人であっても、編集者やデザイナーになるなど、隣接する道に踏み出した人もいて、新しく自分に向いたルートを見つけるきっかけにもなれました。


――「漫画家になるための支援」という枠を超えた意義も持っていたわけですね。


菊池 はい。そもそも漫画家になること自体、ゴールではなくスタートですからね。デビュー後は漫画家として生きる必要があるわけですから。2012年に漫画家向けの確定申告講習会を開催したのも、そのために必要な情報を伝えることも大切だと思ったからです。当時はクリエイターに税金の仕組みを教える講習は珍しかったので、とても喜ばれたのをよく覚えています。
 「漫画家支援」という言葉は「トキワ荘プロジェクト」が最初に言い始めたと思うのですが、今では私たち以外にも多くの会社が漫画家やアニメーターなどのクリエイターを支援するようになりました。私たちの試みが、そういったいい流れに貢献できたとしたらうれしいですね。なお、「トキワ荘プロジェクト」の仕事は、2016年春の事業10周年記念イベントを契機に、当時の若手スタッフにお任せし、以来「アドバイザー」として関わっています。

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