東アジア文化都市2019豊島マンガ・アニメ部門スペシャル事業

マンガ・アニメ3.0

「30年目の“サルまん3.0”!? 相原コージ×竹熊健太郎×江上英樹
『サルでも描けるまんが教室』スペシャルトーク」レポート相原コージ+竹熊健太郎+江上英樹

 東アジア文化都市豊島2019が主催する、豊島区役所本庁舎4Fを舞台に開催したマンガ・アニメの展示企画「マンガ・アニメ区役所」。その第二弾特集展示として、2019年5月9日から11月24日まで催されていたのが、“マンガを題材にしたマンガ作品”をめぐる展示「マンガのマンガ展 〜過去と現在、描き手と読み手〜」だ。
 その関連イベント第二弾「30年目の“サルまん3.0”!? 相原コージ×竹熊健太郎×江上英樹『サルでも描けるまんが教室 』スペシャルトーク」が、2019年10月29日、池袋ジュンク堂書店にて開催された。1989年~1991年に「ビッグコミックスピリッツ」誌上で連載され大きなインパクトを与えた『サルでも描けるまんが教室』(愛称:サルまん)。その著者である相原コージ氏と竹熊健太郎氏、当時の『サルまん』担当編集であり、のちに『月刊IKKI』編集長を務めた江上英樹氏をゲストに、東アジア文化都市2019豊島 マンガ・アニメ部門事業ディレクターの山内康裕の司会のもと、『サルまん』の制作秘話が語り合われた。ここでは、そのスペシャルトークショーの模様の一部を、採録してお届けする。

構成:「マンガ・アニメ3.0」編集部

「仲間」との出会い


――まず最初に自己紹介をお願いします。


江上英樹 江上英樹と申します。『ビッグコミックスピリッツ』時代に『サルまん』の担当をやらせていただきまして。その後、『月刊IKKI』という雑誌を立ち上げたのですが、休刊を機に小学館は退社し、現在はLINEマンガや、韓国のNAVER方面のマンガアプリで、WEBTOONという縦スクロールのカラーマンガのプロデュースをやっています。


相原コージ マンガ家の相原コージです。今は『アサヒ芸能』で『コージジ苑』を連載中です。よろしくお願いします。


竹熊健太郎 僕はもともとエロ本の編集者から始まって、80年代からマンガ関係のフリーライターを、今は『電脳マヴォ』というWebマンガのサイトを立ち上げてやっております。よく『サルまん』の原作者って言われるんですけど、通常の原作付きマンガとは違うやり方で作ってましたので、共同作者と言っていいんじゃないかと思います。


――はじめに連載時のお話を中心にうかがえればと思うのですが。


江上 今日いらっしゃった方で、『サルまん』を『スピリッツ』の連載時にリアルタイムで読んでた方っていらっしゃいますか。あっ、結構いらっしゃいますね。ではだいたいノリはわかっていらっしゃると思うので、そのあたりからお話をしましょうか?


――そもそもどういったきっかけで連載に至ったんですか?


竹熊 連載自体は89年の秋に始まったんですけど、その前年に、相原くんの『コージ苑』が終わって。当時『コージ苑』は大ヒットしていたので、相原くんは一年ぐらい休みたいって言ってたんだよね。


江上 僕は『コージ苑』第3巻の担当編集になったんですけど、この作品ってうまくできていて、あいうえお順だから50何週で終わるっていうのが、はじめから決まっていたんですね。だから相原さんは3巻で絶対にやめるって言ってて。


竹熊 でもその前に、『コージ苑』の単行本の付録を僕が担当して作ったんですよ。「マンガの文法」みたいなページを。


江上 もともと相原さんも、「マンガの描き方」みたいなのをやりたがってたんですよね。


竹熊 そうそう。ちょうどその頃、『スピリッツ』は景気が良くて。よく新宿のディスコとかで、作家を招いてどんちゃん騒ぎをやってた。


江上 そんなにやってないと思うけど(笑)。


竹熊 そこで僕は相原くんにはじめて会ったんです。相原くんがなんか居心地が悪そうに踊ってて。目は冷静に周りを観察しながら、手足だけ踊ってるの。そういうのを見て、「あ、仲間だな」って思って。

 

落ちる前より面白く


相原 その前に『落日新聞』の話をしたほうがいいんじゃない?


江上 そうですね。まず僕が江口寿史さんの『パパリンコ物語』という連載を担当していて……。


竹熊 その江口さんが失踪したんだよ。


江上 最初の失踪のときはまだ、キャラクター紹介とこれまでのあらすじで誤魔化したんですけど、また消えちゃって、もう使うものがないわけ。


竹熊 それで江上さんが僕のアパートに飛び込んできた。「明日の朝までに、16ページ埋めてくれ」と(笑)。


江上 穴埋めの企画ってとにかく時間がないんですよね。しかもすごいのが、当時の白井勝也編集長から、「落ちる前より面白く」って言われて(笑)。


竹熊 さすが名物編集長ですね。


江上 それでなんとか作んなきゃいけないって、竹熊さんを巻き込んだんです。


竹熊 江上さんが来たとき、僕は別の本の入稿で大変だったんだけど、これは無茶苦茶なことができる企画だと思って、「16ページは無理、半分の8ページは広告か何かで埋めてくれるなら」と、ちゃんと8ページを翌朝までに埋めたんです。


江上 それは新聞形式で作ったんですけど、「新聞なら4コマが必要だよね」となって、それで『コージ苑』のボツになったネタも載せたんですね。


竹熊 主人公が『スピリッツ』を開いて「またか」って言うだけの4コマなんだけど、そのタイトルが「え」で、それだけで江口さんが落としたんだなってわかるという(笑)。


江上 あとは「作品が落ちるまで」という、マンガが落ちるメカニズムの解説記事。


竹熊 そうそう(笑)。あと雑誌ができる過程を全部図解にして、その絵を相原くんに頼んだ。


相原 当時はまだ『コージ苑』の連載中だったんですけど、「朝までにこういう絵を描いてくれ」といきなり言われて……。


江上 そこでお二人がはじめて仕事することになったんですね。名コンビが生まれた瞬間です。


竹熊 夜の11時くらいに、僕と、確か当時の担当編集とで相原くんのマンションに行って、ちゃんと8ページを埋めたんですよ。あれが『サルまん』に繋がった。

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