東アジア文化都市2019豊島マンガ・アニメ部門スペシャル事業

マンガ・アニメ3.0

世の中が求める女の子像から、少女マンガだからこそ描ける独創性へ
――里中満智子が語る、マンガの世界を守るために歩んだ道里中満智子インタビュー

「女子高校生デビュー」が切り開いたもの

 私が新人賞を受賞したのは高校1年生のときでした。『少年マガジン』『少女フレンド』『ぼくら』『なかよし』の4誌合同で行われた講談社新人漫画賞で、受賞作の『ピアの肖像』が『フレンド』に掲載されたのですが、紙面を読んだときは愕然としました。紙に印刷されると粗ばかり目立ってしまって……雑誌をすべて回収したいぐらい恥ずかしかったです。マンガ家になるという目標を周囲に反対ばかりされていたので、まだ腕が追いついていないのに、早くデビューをしなければいけないと焦っていたんです。
 それでも16歳という年齢でデビューできたことは、今考えればよかったと思っています。それはデビュー作を読んでくれた人たちの中に「女の子もマンガ家を職業として考えてもいいんだ」とか「まだ若いからという理由でチャレンジを諦めなくていいんだ」と思ってくれた人たちが大勢いたからです。のちに錚々たるマンガ家さんたちから、「マンガは趣味で描いてたけど、あなたのデビューで本気になった」と言ってもらえました。中には「これなら私のほうがうまいじゃないか」とやる気になったという人までいました(笑)。私がマンガ界に貢献したことがあるとすれば、「自分もマンガ家になれる」と多くの人たちに勇気を与えたことなのかなと思っています。
 少女マンガ家としてデビューするとインタビューを受ける機会も増えました。でもインタビュアーの方から「マンガ家は子どもを騙している職業だ」と思っているだろうという雰囲気が伝わってくることもありました。世間がマンガ家をどんな風に見ているのか身をもって体感しましたが、「この人もいつかマンガを認めてくれる日が来ればうれしいな」と殊勝なふりをして受け答えしていましたね(笑)。やがて70年代後半になると「マンガ家は新しい時代の旗手である」というニュアンスが濃くなっていきましたが、今ではそれも薄れて、ごく当たり前の職業になったという印象です。
 マンガ家という仕事が世に認められたと感じたのは、新人賞の審査をしていたときに保護者の方から「うちの子はプロになれますか?」と質問されたときです。それ以前は「うちの子がとんでもないことを言って困っています」「マンガ家になる夢を諦めさせてください」という声ばかりでしたから。子どもがマンガ家を目指すということが、保護者にとって気を失うほどの事態ではなくなったんです。私の時代とは違って、今では悲壮な覚悟を持たなくとも目指せる職業に変わり、私自身も「まずは試しに描いてみなさいよ」と気軽に言えるようになりました。本当にうれしく思っています。

 

デジタル表現の可能性と弱点

 世の中にインターネットという言葉が出始めたとき、いずれはマンガも配信が行われるだろうと思っていました。それにともない、デジタルの機能を使った新しいマンガの表現も生まれるだろうと考えています。これまでのマンガは「本」というベースがあって、「めくる」ことを前提とした表現で描かれてきましたが、デジタル化によって新たな形が生まれるのだろうなと。たとえば紙の本では邪魔になってしまう注釈を裏のレイヤーに隠したり、同じコマに複数のキャラクターが登場したときにクリックすることでそれぞれの考えが読めたり……。モンキー・パンチ先生を中心にして勉強会を立ち上げたこともあったんですよ。いろいろなアイディアが出てきましたが、いざ誰が描くのかとなったら全員が押しつけ合い、結局はそのままお流れになってしまいましたが(笑)。

 


 その後、携帯電話でマンガが読めるようになったことも大きな変化でした。ケータイを本の代わりに使うために、限られた小さなスペースでどうやってマンガを見せるのか。紙からスキャンをして縦スクロールで見せるなど、試行錯誤をしながら現在に至っています。最近はスマホやタブレットが普及したので、より大きなサイズで読めるようになりました。紙にもデジタルにも長所と短所があるので、今後もいろいろ変わっていくはずです。
 紙の大きな短所に、好きな本を全部置くと部屋が狭くなる点があります(笑)。読者の方からも「部屋がいっぱいで泣く泣く手放しました」という話をよく聞きます。また紙は劣化もしますよね。ただ、劣化しないからデジタルのほうがいいのかと言えば、突然すべてのデータが消えてしまう危険性がありますから一長一短です。
 電源の問題もあります。東日本大震災のときに国会図書館にあるデジタルデータを、避難所のある図書館のパソコンへ送ることにしました。でも当然ながら電力の供給が不安定になった地域では、自由に読むことができませんでした。そのときに紙の本の大切さを再確認しました。震災から逃れた子どもたちにとって、マンガを読むことがいい気晴らしになって助かっているという声が聞こえてきたので、あちこち協力しあってマンガ本を避難所に送りました。子どもたちにとってひとときの安らぎになってくれたと思います。

 

物語はあらゆる場所にある

 50年代や60年代のマンガに比べると、今はヒロインがかわいくなくても問題ありませんし、特別な能力も必要とはされません。物語はありとあらゆる場所にあるということを、少女マンガは率先して描いてきたように思います。少女マンガの中だからできる独創性というものが昔からあった気がします。私が影響を受けた先生は少女マンガ雑誌を経験されている方が多くて、石ノ森章太郎先生はすごく実験的な作品をお描きになっていましたし、藤子不二雄先生は少女マンガ雑誌でもSFを表現されていました。赤塚不二夫先生、水野英子先生、ちばてつや先生、そして手塚先生もそうです。だから私には、少女マンガがキラキラした新しい世界のように感じられたんです。
 女の子からすると少年マンガは、すごくシンプルなんです。強いものに憧れて、勝利を肯定してという素直な男の子らしさが続いていく。それがベースになっているから、少年マンガの中で実験的なことをするのは意外に難しいのかもしれません。少女マンガのほうがどんな表現でも受け入れてしまうのでしょうね。
 また日本のマンガ家は、先輩と同じものを描こうとはせずに、オリジナルの道を目指していくという特徴があります。私たちの後に出てきた若い人たちが、自分にしかできない表現を追い求めていったからこそ、結果的にマンガはジャンルも表現の幅も広げていくことができました。「これが理想のマンガだ」というものを、そのまま真似して描くだけでは誰も満足してくれません。日本人は意外とオリジナリティを求める人たちで、それゆえに独創性が磨かれたのだと思っています。
 そして気付いた頃には「マンガは文化だ」と言われるようになっていました。「認められるまで200年と踏んでいたのに意外に早かったな」と感じます(笑)。文化という言葉は非常に幅が広いですから、様々な表現で描かれたマンガ作品のすべてが、半永久的に残っていけばいいなと思っています。

 

聞き手:山内康裕、構成:高瀬康司、高橋克則

 

里中満智子先生が選書委員長を務める「これも学習マンガだ」プロジェクトをフィーチャーした東アジア文化都市2019豊島マンガ・アニメ部門スペシャル事業「マンガ・アニメ区役所」内「これも学習マンガだ!」展 ~マンガで学ぶ11の世界~」が、現在豊島区役所本庁舎4Fまるごとミュージアムにて開催中。7月31日まで。
里中満智子(さとなか・まちこ)
1948年、大阪府生まれ。代表作に『あした輝く』『アリエスの乙女たち』『天上の虹』など。2006年に全作品及び文化活動に対し文部科学大臣賞、2010年文化庁長官表彰、2014年外務大臣表彰。一般社団法人マンガジャパン代表、NPO法人アジアMANGAサミット運営本部代表など。2020年春に南長崎花咲公園に開設予定のトキワ荘復元施設「(仮称)マンガの聖地としまミュージアム」整備検討会議座長を務める。

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