東アジア文化都市2019豊島マンガ・アニメ部門スペシャル事業

マンガ・アニメ3.0

“紙の映画”のプロデューサーになりたかった
――『ゴルゴ13』のさいとう・たかをが語るマンガ・劇画をめぐる過去と未来さいとう・たかを インタビュー

 本記事は、豊島区役所本庁舎にて2月1日~11日にかけて行われた東アジア文化都市2019豊島マンガ・アニメ部門のオープニング展示「区庁舎がマンガ・アニメの城になる」にて上映されたインタビュー映像の採録である。お話をうかがったのは、クリヨウジ先生、さいとう・たかを先生、里中満智子先生、しりあがり寿先生、夏目房之介先生の5名。インタビューでは、「過去と現在を繋ぎ、未来を想像すること」をテーマに、日本のマンガ・シーンを作り上げてきた作家・マンガ研究者の方々に、「マンガ・アニメと社会・未来」という題材で語ってもらった。
 採録の第2回目は『ゴルゴ13』などで知られるさいとう・たかを先生。「劇画」と呼ばれる青年向けコミックの開拓から、 プロダクション形式による分業制作体制の可能性まで、自身の作家 としての歩みとともに語っていただいた。

聞き手:山内康裕、構成:高瀬康司、高橋克則

紙で映画みたいなことができる

 母は私が絵を描くのをとにかく嫌がったんです。「男がそんなもんで飯を食えるはずがない」という気持ちだったんでしょうね。子どもの頃に描いた絵は全部燃やされてしまって、今は何一つ残っていません。大阪府の展覧会で金賞をもらった絵も、カマドの中にポンッと放り込まれてしまったんですわ(笑)。マンガを仕事にするなんてとんでもないというタイプの人でした。
 それに私は小学校4年生のときにもう、家業の床屋を継ぐのが決まっていたんですね。それが突然、母に「お前か兄のどちらかを大学に入れたいけど、どっちが向いていると思う?」と聞かれたんです。兄貴は大の勉強好きで、学校の教科書も授業より先に全部覚えてしまうぐらいの秀才だったんですけど、私はとにかく勉強が嫌いでね……(笑)。嫌いというよりも、学校の教育を認めていなかったんです。教育というのは本来、考えることを教えるべきなのに、やっていることは単なる詰め込みでしたからね。「こんなものは教育やない。ただのクイズや」と思って、学校もろくに行っていませんでした。そんな私と兄貴のどっちを大学に入れるべきかと聞かれたら、そりゃ「兄貴や」と言うしかないでしょう(笑)。それで「中学を出たら床屋の学校に通って、兄が大学に行くのを手伝え」と言われて、だから私は小学4年生の頃から働きっぱなしで、自分が稼いだ金で学ぶことも許されませんでした。
 もし私が大学へ行ってたら、大好きな映画の世界に入っていたでしょうね。当時の映画会社は大卒しか採らなかったので、そういった仕事はできないと最初から諦めていました。それが中学生のときに手塚治虫先生の『新寶島』(1947年)を読んで、「あっ、紙で映画ができる!」と思ったんですよ。映画はものすごくお金がかかるでしょ? 300人のエキストラをそろえようと思ったら、それはもう大変ですよ。ところがマンガの世界はね、3000人どころか、地球に手足まで付けられるっちゅう世界です。この世界は絶対に伸びると思いましたね。

 

 

「大人になったら小説を読む」なんて誰が決めた?

 それからは仕事をしていても、マンガが頭から離れない(笑)。姉と一緒に床屋をするようになってからも、マンガ家になるのを諦めきれなかったんですね。それで母を何とか説得して、1年だけ好きにしていいと許しをもらったんです。今にして思えば、その1年は諦めさせるための1年だったんでしょうね。だって中学でさえ3年も行くんですよ? たった1年で何ができるっちゅう話ですわ(笑)。それでも私は「マンガしかない」と思っていたので必死でしたし、姉も私のためにマンガを描く時間を作ってくれました。それは弟の才能を認めていたというよりは、あまりに一生懸命やってるからかわいそうになったんでしょうけど(笑)。それでなんとか1年がかりで作品を描き上げて、貸本屋に持ち込んだら採用されて本当にマンガの世界に入ることができました。
 雑誌ではなく貸本を選んだのは、あの頃の雑誌には少年ものしかなかったからです。私は映画を紙にしたかったんです。つまりドラマが描きたかったんです。ただいざマンガ家になったら、貸本の読者は俗に言うブルーカラーの世界の人たちが多くて、自分が描きたい作品と読者が読みたい作品とがかけ離れていることが不満で、どうすれば自分の好きなものが描けるのか随分と悩みましたね。それで雑誌の依頼が来たときに、「大人向けのマンガ雑誌を出そう」と出版社を口説いたんです。
 われわれが最初につかんだ読者は、人口が最も多い団塊の世代です。もし大人の鑑賞に堪えうる作品があれば、彼らは必ずマンガを読み続けてくれるだろうという確信がありました。けれど出版社の人間は私がいくら説得しても「マンガは子どものもので、大人になったら小説を読むようになる」と言って聞かないんですわ。誰がそんなこと決めたんだって話ですよ。ずっとマンガを読んできたんだから、大人になっても絶対に読むはずだと。小学館がようやく重い腰を上げて『ビッグコミック』を創刊したのが1968年ですから、今から50年以上前の話ですね。
 私は当時から「雑誌は全部ダメになる」と話していました。それは本が日本家屋に向いていないからです。紙は重すぎるんですよ。本を買いすぎて家の床を抜いてしまったというニュースもあったほどですから。でもマンガの世界はなくならないでしょう。紙芝居がテレビに取って代わったように、また違う形で作品を見せることができると思っています。私は昔から「テレビで映画を観られるようになる」と話していて、当時は「そんなSFみたいなことが起きるか」と言われていましたけど、世の中はすぐにそうなりました。そういった世界が必ず来るので、今の人たちは新しいものをうまく使って、きちんと育てていくことを考えないといけないでしょうね。

 

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