東アジア文化都市2019豊島マンガ・アニメ部門スペシャル事業

マンガ・アニメ3.0

“紙の映画”のプロデューサーになりたかった
――『ゴルゴ13』のさいとう・たかをが語るマンガ・劇画をめぐる過去と未来さいとう・たかを インタビュー

 

マンガは娯楽であるべき

 世界の未来を考えるうえでは、人類みな兄弟という意識が生まれなければいけないと思っています。たとえば国意識はわれわれを引き裂くものなのに、多くの人はそれを当たり前のものと見なしている。物事を深く考えなくなってきていると感じますね。1+1=2だと思っているわけです。そんなことはないんですよ。1+1は、1と1のはずであって、2ではありません。2というのは便利だからそうしているだけの話です。そんな世の中になってきたら人間は二分化されてしまうと思います。一生懸命考える人と、あまり考えない人とにね。
 私は核が人間にとってのパンドラの箱になるだろうと考えていました。人間が制御できないエネルギーに手を出すなんてバカじゃないかと驚いて、「これで人間はおしまいだ」と。でも最近はAIのほうが怖くなりましたね。AIのように感情で物事を考えない知能を作り出してしまったら、人間が地球上で最も必要のない生物であることに気付かれてしまうはずです。そうしたら人間はAIによって排除されてしまいますよ。怨恨や利害で殺すのではなくて、必要がないという理由で消されてしまう。
 私も若い頃は「マンガで世の中をよくできるかもしれない」と考えたこともあります。でもマンガはそんな大層な代物ではないんですよ。だってマンガを読むときに「さぁ勉強するぞ!」と思ってページをめくる人なんていないでしょう(笑)。みんな楽しむために読むんです。お金をもらって商品を渡すわけですから、マンガはまず何よりも娯楽であるべきです。教訓まがいのことを言ってはいけない世界なんですよ。

 

 

『ゴルゴ13』は一人では続かなかった

 私は「さいとう・たかを賞」の審査のために若い人の作品を読む機会も多いですけど、みなさん絵がすごくうまいんです。どれを選べばいいのか困ってしまうぐらいですわ。ただ最近のマンガを読んでいると、自分が描きたいように描いていて、読者の目をあまり意識していないように感じます。マンガを載せる媒体が増えたことが理由でしょうね。「ここがダメなら、あっちに載せてもらおう」という感覚が作家に生まれているんでしょう。
 われわれの頃はページ数も少なかったので、誰かが載れば誰かが落ちるという弱肉強食の世界でした。だから依頼があったときは必死になって描きましたよ。そのせいであの時代のマンガ家たちはみんな早く死んでしまいました。私だって60時間徹夜したという記録がありますから。いつも目が真っ赤になっていてウサギみたいでした(笑)。
 私がマンガの世界に入って間違っていると思ったのは、天才ばかりを探していることです。映画でいえばチャップリンみたいな人だけを探しているんです。たしかに天才は存在しますけど、それよりも、多くの人たちが才能を持ち寄ってマンガを作ったほうが、もっと完成度の高いものができるはずなんです。マンガはそういう世界だと私は思っています。現に『ゴルゴ13』が50年にわたって続いているのは、いろいろな人たちが脚本を考えてくれたからです。もし私一人だったら10年も保っていなかったでしょうね。さいとう・プロダクションを立ち上げたのも、マンガはグループ制が一番うまくいくことを証明したかったからです。
 しかし私の目論見は見事に失敗しました。マンガの世界に入ってくる人間は誰もが「我こそは天才だ」と思っているんです。だから自分が本当は何に向いているのかなんて考えずに好き勝手にやってしまう。私は本当はプロデューサーになりたかったんですけど、彼らにとって「さいとう・たかを」はライバルの一人でしかないんです(笑)。困ってしまいましたよ……。まぁこれからマンガがどんな世界になるのか、私にはわからないです。今はさいとう・プロをなんとかしていくだけで精いっぱいですわ(笑)。

 

聞き手:山内康裕、構成:高瀬康司、高橋克則

 

さいとう・たかを
1936年生まれ、大阪府出身(出生は和歌山県)。代表作に『 ゴルゴ13』『サバイバル』『無用ノ介』『鬼平犯科帳』(原作: 池波正太郎)など。「劇画」 と呼ばれる青年向けコミックのスタイルを確立した一人。 初期よりプロダクションの所属スタッフによる分業制作体制を貫い ている。『ゴルゴ13』 で1975年に第21回小学館漫画賞青年一般部門、 2002年に第31回日本漫画家協会賞大賞、 2004年に第50回小学館漫画賞審査委員特別賞を受賞。 2003年に紫綬褒章、2010年に旭日小綬章受章。

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