東アジア文化都市2019豊島マンガ・アニメ部門スペシャル事業

マンガ・アニメ3.0

韓国におけるインディペンデント・アニメーションの状況はどうなっているのか
――「花開くコリア・アニメーション」のチェ・ユジンが語る歴史的変遷チェ・ユジンインタビュー

 日本において韓国のインディペンデント・アニメーション・シーンを知る最良の上映イベントに「花開くコリア・アニメーション」がある。韓国インディペンデント・アニメーション協会(KIAFA)がソウルで開催しているインディペンデント・アニメーション映画祭「インディ・アニフェスト」、その上映作品・受賞作品を中心とした本イベントは、2008年から毎年、韓国からのゲストを招き、東京・大阪・名古屋で開催されている。
 そのキーパーソンが、チェ・ユジンだ。KIAFA事務局長、また近年では「インディ・アニフェスト」のフェスティバル・ディレクターを務める彼女の目に、韓国のインディペンデント・シーンはどのように見えているのか。日本からはいまだに見通しづらい韓国の状況を、歴史的な視点も交え語ってもらった。

聞き手:土居伸彰、構成:高瀬康司

韓国におけるアニメーション・シーンの現在

 

――ここ数年の韓国のアニメーションの状況はいかがですか? 産業、インディペンデントの両面をうかがえればと思うのですが。

 

 まずアニメーション産業のほうは、私は専門外ではありますが、すごく厳しい状況だと思います。韓国のアニメーション産業の中心はTVアニメです。しかし有力なスポンサーであるTV局が提示する制作費が下がるなど、既存のスタジオはどこも苦しいとよく聞きます。
 その一方で、インディペンデント・アニメーションのほうは、昔から一貫して苦しい状況です(笑)。ただ、個人制作を続けている作家は明らかに増えています。韓国の制作支援制度に採択された作家リストを見ても、長年継続的に活動している人の割合が増加していることが見て取れます。

 

――詳細をそれぞれ順番にうかがえればと思うのですが、まず韓国における産業としてのアニメーションのシステムはどうなっているのでしょうか。

 

 韓国におけるTVアニメは子ども向けが中心で、5歳ぐらいの小学校入学前の子どものためのアニメーションが多く、オモチャのための宣伝で作られた作品が大半ですね。それはTVをめぐる法律とも関わっています。以前「なぜこんなに子ども向けのアニメーションばかり作るのですか?」と聞いてみたことがあったのですが、韓国の法律でTV放送の1パーセントは韓国の「国産アニメーション」を必ず流さなければいけないのだと。また同様に放映作品の何割かは「子ども向けのプログラム」を作ることが義務付けられている。そのため、TV局はその両者をまとめて「子ども向けの国産アニメーション」を放送しているのだと聞きました。

 

――フランスでも、国産アニメーションの枠を用意することで、スタジオに定期的に仕事が入るようになっているので、似た状況ですね。一方、インディペンデントの側はいかがでしょうか。長く活動している作家が増えているとのお話でしたが。

 

 はい、2019年に国家の制作支援を受けた作家は、40代後半が中心でした。国による制作支援が始まったのが2000年前後ですから、その頃から活動を始めた作家が長く制作を続けられているということです。最近は女性作家が多いのも特徴です。
 その一方で、20代後半から30代前半くらいの若手は自分たちのスタジオを設立するケースが出てきています。また短編作家が長編やWebアニメーションなど商業的なものに挑戦する流れも目立ちます。イラストや絵本、そしてコマーシャルの仕事を幅広く手がけるようになってきました。

 

――日本でも同じような世代間の違いがあります。昔はもう少しアンダーグラウンドでエクスペリメンタル寄りだったのが、今はもっとポップカルチャー寄りになっている。またアニメーションだけでなく、マンガやイラストなど他の分野も同時に手がけたり、産業と混ざりあった活動をしている人も多い。すごく近い状況だと思います。

 

 そうですね。韓国の産業のアニメーションは子ども向けばかりで、そこで働いても自分のやりたい作品はできないからと、才能のある若い作家は、自分たちでスタジオを作ることで、CMやPVなどで自分たちの好きなイメージやビジュアルで制作するようになりました。代表的なスタジオは、韓国芸術総合学校(K-Arts)の卒業生が作ったVCR WORKSです。SNSの普及にともない、Web上の作品を観てコンタクトしてくるプロデューサーが増えたことも大きいですね。

 

――また韓国のインディペンデント・アニメーション作家と言えば、実写映画『新感染 ファイナル・エクスプレス』(2016)が大ヒットを飛ばしたヨン・サンホ監督の韓国でのプレゼンスはいかがですか?

 

 もともとはマニアックなファンが多い監督ではありましたけど、やはり韓国でも『新感染』で名前が知られた存在です。またすごく意欲的な人で、自分の企画書をたくさん準備していて、そのアピールも活発にやっています。そのことがチャンスに繋がったんでしょうね。仕事も早く真面目で、近年は自分のスタジオで、プロデューサーとしてアニメーションを作っています。監督だけでなくプロデューサー的な資質もある人なんです。

 

韓国における1990年代のマンガ・アニメの受容

 

――簡単にユジンさんのご経歴も振り返りたいのですが、もともとアニメーションはお好きだったのでしょうか?

 

 はい、子どもの頃からアニメやマンガは大好きでした。よく触れていたのは韓国と日本の作品で、少女マンガは韓国の、アニメは日本のものが好みでしたね。私が子どもの頃はまだ、日本のアニメがTVでたくさん放映されていたんです。その流れで、大学に入ってからは友だちと一緒にアニメクラブを作り、皆で90年代の日本の長編アニメの話などをよくしていました。

 

――韓国の少女マンガというのはたとえばどういった作品があるのでしょうか。

 

 私が一番好きだったのはキム・ヘリンというマンガ家です。歴史ものも描きますし、社会運動もやっていた人なので現代の社会を背景にした作品も描いています。80年代〜90年代の韓国の少女マンガは、SF的だったり歴史的な話だったり、物語のスケールが大きくて、女性のキャラクターが強い作品も多く、個人的にとても好きでしたね。

 

――韓国産のアニメーションはいかがでした?

 

 子ども向けばかりだったので好きではありませんでした。ただ、TVアニメの黎明期は違ったんです。韓国で国産のTVアニメがはじめて作られたのが1985年、ソウルオリンピックの直前ですが、その頃のTVアニメは、今のように子ども向けだけではなかったので面白い作品がいくつもありました。

 

――ユジンさんは現在、韓国インディペンデント・アニメーション協会(KIAFA)で事務局長を務められていますが、どういった経緯で入られたのでしょうか。

 

 大学では歴史学を専攻していたのですが、卒業後に文化関係の仕事がしたいと大学院で文化政策を学び、そこの同級生だった元会長からの誘いで、あまり深く考えずにKIAFAに参加しました(笑)。2006年のことです。

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