東アジア文化都市2019豊島マンガ・アニメ部門スペシャル事業

マンガ・アニメ3.0

マンガはどう語られてきたのか(後編)
――夏目房之介が語る、「僕らのマンガ」への違和感と「いいマンガ」の基準夏目房之介インタビュー

マンガとプロパガンダ


 マンガを語ることで、マンガ自体が変わることも当然ありうると思います。なぜならマンガ作品も一つの言説であって、一つの社会に対する働きかけなわけですからね。今では忘れ去られていますけど、戦中期にはどこの国でもマンガはプロパガンダの道具にされていた。だから平和な時代にもプロパガンダたりうるんです。

 ただ日本の戦後マンガは、プロパガンダであることを警戒する傾向が非常に強くあったので、小林よしのりさんの『ゴーマニズム宣言』なんかは特異な作品に見られてしまう。たぶん手塚さんの中にも、マンガにメッセージ性を込めるのはいいけれども、プロパガンダになってはいけない、という無意識の抑制が働いていた。かわぐちかいじさんの『沈黙の艦隊』ですらそうだと思います。絶妙なところでセーブが効いている。小林よしのりさんは、それを越えていったので皆驚いたし、評価する人と否定する人にはっきりと分かれた。しかし僕は、『ゴーマニズム宣言』がいいか悪いかは別にして、歴史的経緯に照らせば十分ありうるマンガだと思っています。

 

メディアミックスにおける日本とアメリカの差異


 マンガは基本的には手業なので低いコストで作れます。極端に言えば一人でできてしまう。これは洋の東西を問わずにそうで、だから産業としても小さかった。

 ところが日本におけるマンガ出版は、アニメやゲーム、実写とリンクしたいわゆる「メディアミックス」によってマーケットが巨大化します。アメリカもそうなりました。ただ、紙のコミック市場は日本ほど大きくない。紙の出版のレベルで言えば、日本ほど大きなマンガ市場を持った国はほかになかったのではないでしょうか。

 ただしそれはブラックな労働環境によって支えられているものです。日本のマンガ、特に週刊少年マンガなどのメインストリームの世界では、60年代の高度成長期のとんでもない仕事の仕方が今も維持されてしまっている。しかもそれを美意識にしてしまっているわけです。命をかけて描き、本当に死ぬ人もいる。60年代の価値観のままです。

 一方、それだけの競争を経てマーケットでの成功を収めた作品には、ファンがたくさんついている。だからそういう作品を原作にすれば、メディアミックス展開が非常にしやすいわけです。だから僕には、アメリカン・コミックスを原作にした映画などのアメリカ型のメディアミックスと日本型のそれとは、だいぶ違うものに見えます。このあたりの研究はまだあまりないですけど、日本型メディアミックスはそうした60〜70年代に確立されたマンガの特殊な生産システムと深く関連していると考えられるわけです。


「いいマンガ」とは何か


 マンガはこれからも残るのか。名作や古典と呼ばれる作品は残るわけです。それが本当に名作かどうかとは別に、言説の中でそう評価された作品は残っていく。そしてそれが「いいマンガ」の基準になって、そのジャンルの中で継承されていく。文学や映画がそうであったように、マンガもそうなります。

 なので「いいマンガ」の基準をこちら側で定めることに、僕は意味があるとは思っていません。結局は名前の残ったものが、「いい作品」ということに皆にとってはなる。典型的な例としては手塚作品ですね。今では図書館に入れてもいいと皆が思いやすくなっている。その結果『ブラックジャック』が学校の図書館によく入れられています。『はだしのゲン』もそうですね。原爆について描いてあるから良心的な作品であるというイメージが持たれやすい。もう一つ、『カムイ伝』。これも階級的な矛盾を描いているのでいい作品であろうと思われやすい。

 でもご存知のように、この三作はどれも、学校の図書館で読んだ子どもがトラウマを背負ってしまいかねないほどのエゲツない作品です(笑)。図書館に入るような「いいマンガ」と聞くと、どうせつまらない作品だと思うでしょうけど、学校の教職員たちの判断をくぐり抜けて、きちんと面白いマンガが残っている。僕はそこにも、マンガの面白さを感じてしまいますね。

聞き手:土居伸彰、構成:高瀬康司

 

夏目房之介(なつめ・ふさのすけ)
1950年、東京都生まれ。代表的な著作に『手塚治虫はどこにいる』『マンガはなぜ面白いのか――その表現と文法』など。多数のコラム、エッセイの執筆や「BSマンガ夜話」(NHK)出演などによってマンガ批評の間口を広げるとともに、コマ割りや描線といったマンガの“文法”に着目して作品を分析する「マンガ表現論」を確立した。1999年、マンガ批評の優れた業績にて手塚治虫文化賞マンガ特別賞受賞。2008年より学習院大学大学院人文科学研究科身体表象文化学専攻教授を務める。

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