東アジア文化都市2019豊島マンガ・アニメ部門スペシャル事業

マンガ・アニメ3.0

日本と韓国で並行する2本の道
――韓国インディペンデント・アニメーション界の先駆者に聞くアン・ジェフン+片渕須直 対談


アニメーションの受容層


片渕 アン監督の作品は、どれくらいの世代のお客さんが多いんですか? 今日のお客さんもそうですけど、僕の作品には40代や50代の人がよく足を運んでくださいます。韓国での上映と比べて今日の年齢層はいかがでした?


アン 高かったですね。あと女性があまりいませんでした(笑)。


片渕 (笑)。『この世界の片隅に』では、80歳を越える方まで劇場に足を運んでくださって、実際に90歳のお客さんと映画館で話したこともあります。それはあの作品が、その世代の人たちが生きてきた時代を描いているからでもあると思います。その意味では、アン監督の作品も、年配の方々が若者や子どもだった時代を描かれていますよね。


アン 日本ではおそらく、宮崎駿監督などの活躍で、幅広い世代の観客が育ってきたのだと思います。しかし韓国には、まだ国民的な人気を呼ぶアニメーション監督はいませんし、40-50代の人はハリウッド製以外のアニメーションにはあまり興味を示してくれないのです。


――作品の公開をめぐっては、アン監督の作品は映画館以外の場所でも上映されているとうかがっています。これはどういう理由なのでしょうか。


アン 韓国の映画館にはスクリーンの独占問題というのがありまして、どの映画館に行っても、興行収入の見込める映画しかやっていないという状況があります。そのため実写、アニメーションを問わず、有志たちが多様な映画を上映するための活動を行なっていて、私の作品も、映画館よりもいい環境、いい条件で上映してもらっています。ただ最近は、その活動も資金面の困難などで下火になってきていますね。

アン・ジェフン監督(左)、片渕須直監督(右)


先行世代からの影響


――アン監督が、日本や中国のアニメーション監督で影響を受けた作家はいますか?


アン 「この監督が好き」という見方はしていないので作家名という形では挙がらないのですが、部分部分ではたくさんの刺激をいただいています。たとえば片渕監督からは、細やかな日常芝居に関して影響を受けました。ただそうして受け取ったものの多くは、自分の中で咀嚼したうえで表現しているので、そのままの形では現れていないものがほとんどだと思います。また残念なことに、最近の韓国では日本や中国のアニメーションがあまり劇場公開されなくなっていて、私は映画館で観るタイプなので、鑑賞の機会自体が少なくなってしまっています。


――アン監督は高畑勲監督とも通じる部分が多いと思うのですがいかがですか?


アン 高畑監督の作品とは知らずに観ていたのですが、『セロ弾きのゴーシュ』(1982)は昔から好きでした。また作品ではありませんが、雑誌の記事で、東映動画時代に高畑勲監督と宮崎監督がバスの停留所ではじめて出会ったときのエピソードを読んでからは、私もそうした何気ない日常の中で、今後お二人のような大監督になる人物と出会っているのかもしれない、と考えるようになりました。


片渕 ちょうど今、東京国立近代美術館で「高畑勲展」が開催されているんですね。


アン 私もこの機会に見に行くつもりです。


片渕 そこには絵だけでなく、大量のメモや言葉が展示されています。それを見て、高畑監督は、その文字で「ものごとの感じ方」を言葉にしようとしているのだと思いました。「考えるよりも感じろ」という言葉がありますけど、高畑さんは「どうすれば感じることができるのか」を文字にしようと努めていたんだなと。高畑監督の同僚の人たちは彼のことを詩人と呼びますけど、高畑さんは詩ではなく、詩の書き方を一生懸命言葉にしていたんだと僕は思います。
 また、アン監督の作品にも、僕が若い頃に触れた高畑さんの考え方、感じ方の最良の部分が入っている気がするんですね。たとえば『にわか雨』の女の子の仕草は、実写でやるのではなく、絵で描き、繊細に動かすことで、何か特別な意味を持つようになる。そういうところが、すごく高畑監督と重なるように思えます。


同じ方向へと歩む存在


片渕 最後にお聞きしたいのですが、アン監督はご自身のことを、韓国のアニメーション界の中で、どういう立ち位置だと思っていますか? 正統なのか、それとも異端なのか。


アン 正統派だと思いますね。自分なりのアニメーションを作ることで、自分や世界が幸せになるようにと思って作っていますから。


片渕 ご自身が正統であると意識して作られているというのは、本当に素晴らしいことですね。


――片渕監督は違うのでしょうか?


片渕 自分のやっていることが正統であってほしいとは思っています。だからもし、アン監督の作品が韓国のアニメーションの真ん中にあるのだとすれば、それはもちろん素晴らしいことだと思います。けれども、まわりは全然違うことをやっていますし、今のアニメーションの愛好者たちは僕たちとは違う方向に興味を持っているように感じているんですね。
 ただそんな中で、アン監督の作品は別の何かを切り開いている感じがするんですよ。僕は韓国のアニメーションの状況はわかりませんけど、アン監督のあとに道ができているという気がする。ちょうど高畑さんがそうであったように。
 そしてアン監督が韓国で歩むその道は、僕が日本で進んでいる道と並行して伸びている。2本の道は交わることはなく、2人はただ別々に自分の道を進んでいるだけだけれども、そういう監督がこの世界に存在してくれていることを、僕はとても心強く感じます。


アン これまでは、素晴らしい作品を観ても、その監督に会うのはあまりよくないのではないかと思っていました。ですが今日、片渕監督にお会いし、様々なお話ができたことを大変うれしく思っています。私もまた、自分と同じ方向へ歩んでいる人がいることを心強く思う者の一人です。

 

聞き手・構成:高瀬康司、野村崇明

 

アン・ジェフン(Ahn Jaehoon)
1992年にアニメーターとしてキャリアをスタートさせ、『ヒッチコックのある一日』(1998)、『純粋な喜び』(2000)などのオリジナル短編、『アニメ 冬のソナタ』(2009)など商業作品の演出を経験。2011年に初の劇場用長編『大切な日の夢』が公開され、日本をはじめ世界各国で上映される。現在、 韓国短編文学アニメーション『巫女図』と、オリジナル長編『千年の同行(仮題)』を準備中。制作スタジオ「鉛筆で瞑想」主宰。


片渕須直(かたぶち・すなお)
1960年生。アニメーション映画監督。監督作として、長編『アリーテ姫』(2001)、『マイマイ新子と千年の魔法』(2009)など。日常生活の機微から戦時中の生活を描いた『この世界の片隅に』(2016)は、いくつもの映画祭等で実写映画を上回る評価を受けた。日本大学芸術学部特任教授として後進の育成も行う。

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