東アジア文化都市2019豊島マンガ・アニメ部門スペシャル事業

マンガ・アニメ3.0

持永只仁・川本喜八郎から「リラックマとカオルさん」まで
――日本の人形アニメーション史を探る細川晋

10年代

 00年代後半以降は、00年初頭に学生だった作家が様々な媒体で活躍するようになり、次の世代に技術を伝えていく立場になってきました。無論その上の世代の方々も精力的に活躍されていましたし、そこに大学生、院生や、ネットを中心に活躍する方の作品も混ざり合い、本当に作り手の分け隔てがなくなってきています。

 

 加えて、デジタルカメラの性能がどんどん上がり、LunchBoxに替わって今度は完全にPCに対応したDragon Stop Motionが発売され、現在の撮影方法が確立されました。また作家同士がお互いの情報交換をし合う空気が生まれ、私的な交流会やパンタグラフさんによる「THE・コマ撮り会議」などが行われたりもしました。

 

 2010年に挙げるべき作品として中村誠さんの『チェブラーシカ』があります。ロシアで生まれたチェブラーシカは、誕生から30年以上経った01年に日本国内で爆発的な人気となりました。そのチェブラーシカを改めて多国籍チームで作り上げた作品です。

 

 2011年は伊藤有壱さんによる『HARBOR TALE』、東京藝術大学大学院から秦俊子さんの『さまよう心臓』などが発表。

 

 この年は、多摩美術大学の教授となっていた片山雅博さんが亡くなった年でもありました。片山さんの功績は非常に大きく、学生、プロ問わず、ありとあらゆるアニメーション作家をつなぐ役目を終生担っていました。また、多摩美では指導1期生として坂本サクさん、2期に加藤久二生さん、クリハラタカシさん、坂井治さん、4期に近藤聡乃さん、6期に水江未来さんなど現在活躍する様々な作家を輩出。現在LunchBox Studioを主宰する大石拓郎さんと、洞口祐輔さんによる『To Tomorrow From Tomorrow』(07年)など、人形アニメーションに携わる人材の輩出も行っています。

 

 2013年のインターネットでは堀貴秀さんの『JUNK HEAD 1』がYouTubeで公開され話題となります。ネピアのWebCM『Tissue Animals』(アニメーター:おーのもときさん)や、Rihito Ueさんの『StopMotion 踊る!! シンバル猿!』も注目を浴びました。八代健志さんの『ノーマン・ザ・スノーマン〜北の国のオーロラ〜』もあり、彼の率いる太陽企画のTECARATは今年2019年、ごんぎつねを題材とした『ごん/GON,THE LITTLE FOX』の公開も控えています。

 

 2010年以降、NHKプチプチアニメも徐々に番組作品を増やしていき、多くのアニメーターがその腕を奮っていきました。宮澤真理さんの『こにぎりくん』(15)などが挙げられます。

 

 2015年は長編として、現在でも継続して上映されつづけている中村誠さんの『ちえりとチェリー』、そして実写とアニメーションを混ぜた『present for you』(臺佳彦監督)が完成。『present〜』も大勢のスタッフ間で多くの技術伝達と人的交流が起こっています。

 

 2017年、秦俊子さんが『映画の妖精フィルとムー』『パカリアン』を発表。そして国産アニメーション生誕100週年だったその年、国立映画アーカイブ(当時は東京国立近代美術館フィルムセンター)で持永只仁展が大々的に行われました。『ちびくろさんぼ』や『こぶとり』を始め、100体を超える沢山の人形が展示され、国内外から多くの方が来場しました。ここで初めて持永只仁という作家を知った方もいらしたと思います。

 

 18年には東京藝術大学大学院から見里朝希さんの『マイリトルゴート』。同じく東京藝術大学大学院修了の当真一茂さん小野ハナさんによるUchuPeopleが手がけた、TVアニメ『ポプテピピック』のフェルトアニメーションも話題となりました。

 

 一方、悲しい出来事として、持永、岡本、川本作品で人形制作を行い、眞賀里文子さんとともにちいさな学校で後進の指導に当たっていた保坂純子さんが亡くなられたことも忘れられません。人形アニメーションは監督やアニメーターだけではなく、人形を作る方、セットを作る方、照明、カメラマン、アシスタントの方、編集、音響……その他大勢の人の手で生み出されています。

 

最後に

 人形アニメーションは、作ろうとしてもまず“どうしていいかわからない”ところから始まります。そこで、様々な情報を探して必要な知識を入れていくのですが、人形などの作り方にある程度の基本はありつつも絶対的な正解はないことから、各自が独自の制作方法に基づいている場合が多いので、最初に影響を受けて真似てみた方法が自身の基盤になっていきます。そしてそこから自分に合ったカスタマイズをしていくことで自分の方法論が確立されます。そうすると元は薄まりますが、どこかに必ず教訓としてその影響は残ります。

 

 2019年にドワーフ制作の『リラックマとカオルさん』がNetflixで公開されました。アニメーターには峰岸裕和さん、大向とき子さんといった大ベテランから、80、90年代の流れを汲む『ロボットパルタ』の保田克史さんといわつき育子さん、主にCMを手がける垣内由加利さんやオカダシゲルさん、さらには阿部靖子さんや篠原健太さんといったドワーフの仕事を手がけている方々、そしてmoogaboogaの高野真さんが関わっています。日本映画学校を卒業後、『死者の書』に参加した稲積君将さんもスタッフです。このスタッフリストを目にした時、持永さんという一滴の源流から始まり、様々に広がった人形アニメーションの流れがここに大きく結集したのを見た感覚になりました。

 

 人形アニメーション制作者のスタッフリストはあまり表に出てきませんが、線と線が網の目のように交差して、直接的に持永さんや川本さんから学ぶことはできなくても、そこから学んだ人の技術が誰かと繋がっています。YouTubeなどから見て学ぶ人もいます。だからかつての師匠と弟子というような関係で少数に引き継がれた技術は、今はもっと幅広く伝播していると思います。

 

 もちろん海外の作品に憧れた方もたくさんいると思いますし、海外で活躍する方もいますが、その大元を辿り、歴史を振り返ることは制作者にとって自分のルーツを探すことにもなります。

 

 今回は駆け足で、書き足りない部分も多い文章です。しかし人形アニメーションに興味を持たれるきっかけの一つになればと思います。

「雑司が谷が発祥地!中国と日本の人形アニメーションの創始者・持永只仁と、川本喜八郎」会場風景

「雑司が谷が発祥地!中国と日本の人形アニメーションの創始者・持永只仁と、川本喜八郎」

人形展示


 

文:細川晋

 

細川晋(ほそかわ・しん)
1978年生。多摩美術大学グラフィックデザイン学科、同大学大学院修了。大学3年生だった2000年より人形アニメーション制作を開始。大学院在学中に野村辰寿『ジャム・ザ・ハウスネイル』に参加し、第9話以降、最終話までアシスタントを務める。04年に大学院を修了しフリーランスに。修了制作『鬼』の発表後、川本喜八郎『死者の書』にアニメーターとして従事する。現在はCM、作品制作のほか、東京工芸大学芸術学部アニメーション学科で助教も務める。日本アニメーション協会常任理事。

東アジア文化都市2019豊島のパートナーシップ事業「雑司が谷が発祥地!中国と日本の人形アニメーションの創始者・持永只仁と、川本喜八郎」が、2019年9月16日、としま産業振興プラザで開催された。

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