東アジア文化都市2019豊島マンガ・アニメ部門スペシャル事業

マンガ・アニメ3.0

街でコスプレする、街がコスプレをする(前編)
――池袋からコスプレを眺めて谷頭和希

4:「街でコスプレをする」

 「街でコスプレをする」。

 

 これが、池袋でのコスプレを特徴づけていて、そしてそれゆえに池袋は「コスプレの聖地」と呼ばれるようになった。だからこの「街でコスプレをする」という何気ない一文はとても重要な意味を持っているのだ。

 

 ではなぜ「街でコスプレをする」と言うことがかくも重要になるのだろうか。実際、多くのコスプレイベントは、東京ドームシティーや東京ビックサイトのように、閉鎖的な空間で行われるという。

 

 こうした場所でのイベントが多い限り、一般人がコスプレイヤーを見る機会は少ない。なぜなら両者は壁で隔てられているからだ。姿が見えない。だからこそ、一般人とコスプレイヤーが交じり合うということも起こり得ない。

 

 しかしなぜ、池袋は街なかでのコスプレが受け入れられているのか。

 

 逆に言えば、なぜ他のコスプレイベントでは街なかを使用することが少ないのだろうか。

 

 やはりそこには、コスプレイヤーという異装の人々に対する一般の人々の警戒心が関係しているようだ。一般人の目から見れば、コスプレイヤーは「何か怪しげな集団」という風にイメージされるのは、私がコスプレにほとんど馴染みのない人間だから理解できることであるし、初めてサンシャインシティで彼らを見たときは、物珍しさとともに、あるいかがわしさも感じられた。私の心の中の警戒心が働いたのかもしれない。

 

サンシャインシティの敷地内でコスプレを行う人々。一般の買い物客たちと混ざる(撮影=伊藤元晴)

 

 この点に関して、池袋でのコスプレが、なぜ一般人の警戒心を解くことができたのか。アニメイトの小山さんによれば、それは池袋で行われたあるイベントが関係しているのだという。

 

 2013年4月に、サンシャイン通り商店会が開催するフラワーフェスティバルでコスプレパレードを行いたいと、コスプレイヤーの人たちへの参加要請があったんです。そこに参加したコスプレイヤーの人たちのマナーがとても良かったんですよね。
 当時はコスプレイヤーがよく分からずあまり良くないイメージがあったようなのですが、実際に接してみると、そうしたイメージとは異なる好印象を街の方々も持ったようです。なんだコスプレイヤーは何も怖くないし、私たちと変わらないじゃないかと。そこから実際の街でコスプレをやることに対する抵抗感も減っていき、池袋では街なかでもコスプレしたまま楽しめるようになったんです。

 

 つまり、一般人とコスプレイヤーという隔たった場所にいた存在がひょんなことから直接出会うことになり、それがきっかけとなって、コスプレイヤーに対するある偏見が融解して、その二つは混じり合うことになったのである。

 

 異なるもの同士が直接出会うこと。

 

 小山さんはインタビューの中で、「私たちはコスプレイベントという舞台を用意しているのです」と語っていた。そうした異なるものが出会う舞台をアニメイトグループは、街の方々と協力して作り出しているのである。そしてとりもなおさず、異なるものが共存する風景こそ、池袋という街特有の風景であり、そうした土地の特徴に見合うコスプレイベントがそこでは行われているのだ。

 

 異なるものが出会う場所が、池袋のコスプレ会場にはあり、その舞台として池袋は存在しているのである。

 

文:谷頭和希、取材協力:株式会社アニメイトホールディングス関係者

 

後編へつづく】

 

谷頭和希(たにがしら・かずき)
エッセイスト、ライター。街をテーマにしたエッセイ・批評文などを数多く手がける。ゲンロン批評再生塾第3期では、ディスカウントア「ドン・キホーテ」をテーマにした文章で審査員特別賞を受賞。仲俣暁生主宰のマガジン航では、「BOOKOFF」をテーマにした連載を展開中。他、『オモコロ』『サンポー』『LOCUST』など多方面で精力的に執筆活動を行なっている。

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