街でコスプレする、街がコスプレをする(後編)
――池袋からコスプレを眺めて谷頭和希
6:「街がコスプレをする」
先ほど、池袋という街が近年、大きく変化してきたことを述べた。しかし、もう少し視野を広く取れば、こうした変化は池袋において常に見られてきたことである。
例えば、戦前の池袋は成城学園や自由学園といった当時の先進的な学校が集まる文教地区でもあった。
立教大学
戦後すぐは闇市として栄え、あるいは西武デパートがその本拠地を構えて結果的に多くの百貨店が集まるターミナル駅としての姿もある
写真上:栄町通り、写真下:美久仁小路。
どちらもかつて池袋の闇市であった。今もその面影を現在に残している
池袋駅東口駅前。PARCOやビックカメラなど大型商業施設が立ち並ぶ
そして近年では、サンシャイン前の「乙女ロード」を中心に、いわゆる「腐女子カルチャー」の中心地としての姿も現している。さらに北口の歓楽街には、都内でなかなかお目にかかれない本格的な中華街も形成され始めている。
池袋のアニメ・マンガ文化を象徴する乙女ロード
池袋に数多く存在する中華系店舗を象徴するスーパーマーケット「陽光城」
そのようなめまぐるしい変遷をたどってきた池袋にとって、ここ最近の再開発による変化は、何も珍しいことではない。むしろそのようにして変化し続けることが池袋という街の特徴なのではないか。
さらに興味深いのは、こうした変化を地元住民も受け入れているということである。Hareza池袋の再開発でプロジェクトリーダーを務める、東京建物株式会社の若林典生さんによれば、
豊島区長(高野之夫氏)の熱心な働きかけもあって、地元の住民の方々も(再開発に)協力してくれています。一緒に池袋という街を変えていきたいという思いがあるんですよ。Hareza池袋の開発の大きな特徴は、このように、官民、そして地元の住民の方々が一体となって池袋という街を変えようとしているところにあります。私はこの池袋でのプロジェクトの他にもいくつかの再開発プロジェクトに携わったことがありますが、ここまで官民が一丸となって進んだプロジェクトはありません。
つまり、池袋という街が変化していくことを、再開発を主導する側だけではなく、地域住民もまた受け入れているというのだ。「再開発」という言葉を聞くと、一般的に私たちは開発者側と地域住民の対立、というような安易な構図を思い描きがちである。しかし池袋は「池袋という街を変化させる」という志のもとで、それらが対立することなく街が変化していくのである。
考えてみれば、池袋というのは、街全体がコスプレをしているような街なのかもしれない。
常に一つの姿に留まり続けずに、その街のかたちを変身させていくさまは、まるでコスプレイヤーがコスプレをすることで、今までの自分とは全く異なる姿へと変身していく、そんな姿を彷彿とさせるのだ。だからこそ、コスプレイヤーもこの街に惹かれるのかもしれない。
でも、もしも池袋という街のイメージ全体が(果たして池袋というのが地理的にどこまでを示すのかはさしおくとしても)時代時代によってそっくり変化してしまうのであるならば、私が池袋に見たような、異質なものが同居する姿は生まれないだろう。例えば、かつての歓楽街を一掃しておしゃれな広場や公園にそっくりそのまま作り変えてしまえば、その街はもはや「綺麗な街」という姿でしか見えないだろう。
しかし、池袋はそうではない。むしろ池袋はそうした変化の爪痕が少しずつ堆積するようにして現在の街並みを作り上げている。
そういえば、Hareza池袋の再開発では、今までの池袋にはなかったような、大人も仕事終わりに少し羽を伸ばせるような雰囲気の商業スペースも作られるのだという。異質なものが交じり合う池袋にまた新しい側面を付け加えようとしているのである。
ここに、池袋という街の、更なる特徴がある。