
街でコスプレする、街がコスプレをする(後編)
――池袋からコスプレを眺めて谷頭和希
7:コスプレのような街、池袋
つらつらと思うままに、池袋という街とコスプレについて書いてきた。そろそろこのとりとめのない考えも終わりに近づいてきたようだ。
私は前項で池袋という街の特徴を、絶えざる変化の爪痕が少しずつ堆積しているというところに見た。池袋の周辺を少し歩いてみるとよい。歓楽街かと思ったら突然立教大学が見え、あるいは西武デパートやパルコに出くわす。少し歩いただけでも街区の変遷は甚だしい。
そしてそれこそが、異質なものが混ざり合う池袋独特の風景を生み出しているのではないか。
先に池袋という街は、街そのものがコスプレをしているようだ、と書いた。しかしこの言い方では不十分かもしれない。むしろ池袋という街は、街全体がコスプレイベントのようであるかもしれない。
私はこの文章を書くために、人生で初めてコスプレイベントの中に入り込んでみた。外側から見ることはあったが、実際にその中に入り込むのは初めてである。そこはまさに、池袋の街のようであった。時代も、地域もバラバラであるキャラクターたちが一堂に会し、そしてキャラクターでないものに扮する人もいる。それは、カオスであると同時に、しかし異なるものが一つに調和しているという不思議な趣を持っていた。
池袋という街も同様である。
歓楽街の格好をするものがいると思ったら、あるいは文教地区のコスプレをしているものもいる。そうしてみると今度はおしゃれなコスプレをする人もいるし、今度の再開発では今までの池袋にはなかったような、また異なるコスプレイヤーが登場するだろう。それはカオスであるかもしれないが、しかしなぜだか一つの景色の中にそれは収まっている。
池袋でのコスプレイベントの特徴は「街でコスプレをすること」にあった。一方でそれを支える街もまた、コスプレをし、そしてコスプレイベントのただなかにいるようだ。街そのものがコスプレイベントのように、猥雑で様々なものが入り組んでいる。
もう一度問うてみよう。
池袋はなぜ、コスプレの聖地と呼ばれているのか。
それには多くの理由があるだろうが、そこに一点、私なりの意見を付け加えてみたい。
それは池袋という街そのものがコスプレをしているようであり、そしてコスプレイベントのような街でもあるからなのだ、と。
文:谷頭和希、取材協力:若林典生(東京建物株式会社)
谷頭和希(たにがしら・かずき)
エッセイスト、ライター。街をテーマにしたエッセイ・批評文などを数多く手がける。ゲンロン批評再生塾第3期では、ディスカウントア「ドン・キホーテ」をテーマにした文章で審査員特別賞を受賞。仲俣暁生主宰のマガジン航では、「BOOKOFF」をテーマにした連載を展開中。他、『オモコロ』『サンポー』『LOCUST』など多方面で精力的に執筆活動を行なっている。