東アジア文化都市2019豊島マンガ・アニメ部門スペシャル事業

マンガ・アニメ3.0

IMART2019年11月17日(日)
全セッションレポート(後編)IMART(第3日目・後編)

アニメのジャーナリズムのこれまでとこれから

登壇者
小原篤(朝日新聞 記者)
角清人(KADOKAWA「ニュータイプ」編集長)
数土直志(アニメーション・ビジネス・ジャーナル編集長)
藤津亮太(アニメ評論家)
司会
稲田豊史(編集者・ライター)

レポートセッション概要

左から、稲田豊史氏、小原篤氏、角清人氏、藤津亮太氏、数土直志氏

 

 セッション「アニメのジャーナリズムのこれまでとこれから」では、第一線で活躍する新聞記者、アニメ雑誌編集者、評論家らが、アニメジャーナリズムの課題や歴史、未来を語り合った。

 そもそも「ジャーナリズム」とは何だろうか。小原氏は、「報道」と「批評」を挙げ、新聞ではどちらも一定以上行われてきたと語る。合わせて1998年に各アニメ雑誌の編集長らへインタビューを行った際の回答を引きながら、雑誌メディアで「批評」が後景化している要因が振り返られた。

 関連して藤津氏からは、作品の場面写真の借りづらさについて指摘が。アニメの映像分析には、コマ単位での抜き出しが極めて有効だが、現行の体制ではそれが行いづらい。そのため技術分析的な記事を展開することが困難だと、制度・慣例上の課題が浮き彫りにされた。

 数土氏からはファンサイトに対する意見も。特に許諾なしに画像や記事を転載する、俗に「まとめサイト」と呼ばれる違法Webサイトへ警鐘を鳴らすとともに、損害を被った際には、必ずクレームを出し対処していると語る。

左から、稲田豊史氏、小原篤氏、角清人氏、藤津亮太氏、数土直志氏

 

 「アニメ雑誌のライターに求められるものは?」という質問では、角氏が「アニメの制作工程」に関する知識の必要性を説く。描きおろしのビジュアルを重視している『月刊ニュータイプ』も、そうした楽しい記事を入り口に、より深いアニメの魅力に惹かれる読者が増えてほしいと願いを語った。

 セッションの中で、アニメジャーナリズムの歴史の転換点として挙がったのが、劇場版『新世紀エヴァンゲリオン』や『もののけ姫』の1997年と、『千と千尋の神隠し』の2002年、そして『君の名は。』の2016年だ。新しい局面へと突入した日本のアニメにおける、これからのジャーナリズムの姿が垣間見られるセッションとなった。


コマと線になぜ人はいまだに感動するのか?
マンガ表現論と、その先

登壇者
夏目房之介(マンガ・コラムニスト)
野田謙介(マンガ研究者・翻訳者)
宮本大人(漫画史・表象文化論/明治大学准教授)
三輪健太朗(マンガ研究者/跡見学園女子大学専任講師)

レポートセッション概要

 

 

 セッション「コマと線になぜ人はいまだに感動するのか? マンガ表現論と、その先」では、テーマとなっているこの普遍的な問いがいかなる文脈と共にあったのか、識者たちによる再検討が行われた。

 セッション冒頭では、宮本氏による、70年代までのマンガ表現論の展開を簡潔にまとめたプレゼンテーションが。マンガ表現論が持つ独特の歴史がわかりやすく示された。

 続いて各論者が、70年代以降のマンガ表現論におけるマイルストーンと呼べる著作を10冊ずつ挙げてプレゼンテーション。夏目氏と宮本氏が標準的な著作を挙げたのに対して、三輪氏は書名に手塚治虫の名が入ったものだけを選出、野田氏はマンガ論以外からもピックアップするなど、個性的なラインアップが出そろった。今回の選出意図として、野田氏は、表現論という概念を再検討するためと説明。三輪氏は、一人の作家を軸にすることで通時的な流れを浮き彫りすることを企図したという。

 後半では、夏目氏が独自のマンガ表現論を確立するまでの過程が振り返られた。三輪氏は、夏目氏の表現論はマンガの共時的性質について扱っていると考えられがちだが、線やコマという普遍的条件に注目することで通時的な記述を可能にした点が画期的であったと示唆。野田氏も、夏目氏の思考は線やコマといった要素へと還元するアプローチとは異なるものであると強調した。

 また宮本氏からは、電子コミックが存在感を増している今、「コマと線」の機能が問い直されているとの指摘が。マンガ表現論が、媒体や時代の変化と並走していることがあらためて確認された。

 

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【IMART2日目レポート 前半後半

【IMART3日目レポート 前半

 

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