東アジア文化都市2019豊島マンガ・アニメ部門スペシャル事業

マンガ・アニメ3.0

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21世紀初頭の日本における
インディペンデント・アニメーションシーンはどうなっていたのか(前編)
――土居伸彰が語る、Animations・CALF・ニューディアーでの体験土居伸彰+水江未来 対談

 山村浩二、大山慶、和田淳、水江未来、折笠良、ひらのりょう、冠木佐和子、久野遥子――。現代の日本のインディペンデント・アニメーションシーンに関心があれば、知らない人はいないだろう要注目のアニメーション作家たちだ。
 東アジア文化都市2019豊島のマンガ・アニメ部門事業ディレクターである土居伸彰は、この10年、アニメーションに対して研究・評論の分野で携わるだけでなく、上記のすべての作家たちの活動に寄り添ってきた、いわば歴史の立会人でもある。そんな土居に、ユーリー・ノルシュテインに触発されてから2019年現在までの約20年間の体験を、盟友であるアニメーション作家・水江未来氏とともに、シーンや社会の変遷も交えつつ振り返ってもらった。
 この前編では、アニメーション研究を志した00年代初頭の状況から、山村浩二を中心とした「Animations」への参加、大山慶、和田淳、水江未来とのインディペンデント・レーベル「CALF」の設立、そしてドン・ハーツフェルト、ひらのりょうら動画サイト世代の衝撃までを追っていく。

 

聞き手・構成:高瀬康司

山村浩二との出会い、そしてAnimations

 

――山村浩二さんを中心としたアニメーション制作・評論集団「Animations」、大山慶さんなど同世代の作家陣と共同で運営したインディペンデント・レーベル「CALF」と、日本における21世紀のインディペンデント・アニメーションシーンを牽引してきたこれらの団体に設立メンバーとして関わり、現在では自らもニューディアー代表として世界の長編アニメーションの配給を手がけ、また新千歳国際空港アニメーション映画祭フェスティバル・ディレクターとして活躍されている土居さんですが、今回はその活動の歩みを振り返ることを通じて、ここ20年のシーンの変遷を概観してみたいと思います。またそれにあたり、CALFの立ち上げメンバーの一人で、現在も土居さんのプロデュースで長編アニメーション『水江西遊記(仮)』の制作をスタートさせているアニメーション作家の水江未来さんにも、オブザーバーとしてご参加いただいています。
 はじめに前提となる確認ですが、土居さんはユーリー・ノルシュテインに触発され、大学でのアニメーション研究を始められたわけですよね。


土居 そうですね。ドストエフスキーが好きで、もともと大学ではロシア文学を研究しようとしていたのですが、語学の授業でノルシュテインの『話の話』(1979)を見て(DVD「ノルシュテイン作品集」が出る前だったので、VHSで見ました)、衝撃を受けたことをきっかけに、アニメーション研究を志すことになりました。
 今から考えると、僕が大学生〜大学院生だった2000年代はノルシュテインを研究するにはちょうどいい時期でした。というのも、2000年からラピュタ阿佐ヶ谷で行われていた「ユーリ・ノルシュテイン大賞」ではノルシュテインがほぼ毎年来日してワークショップをやっていた。ノルシュテインは2008年に『草上の雪(未邦訳)』という大著を出しましたが、日本でのいくつもの講演がベースになっています。当時の日本は、ノルシュテインのアニメーション論をいち早く聞ける場所で、僕もそこから多くのことを学ぶことができました。

「ユーリー・ノルシュテイン監督特集上映 アニメーションの神様、その美しき世界」予告編


――その後、アニメーション作家の山村浩二さんのもとで、表立っての執筆活動を開始されます。山村さんとはどういうきっかけで出会われたのでしょうか?


土居 僕の研究対象はノルシュテインの『話の話』、つまり短編アニメーションだったわけですが、当時はディズニーやカートゥーン、日本のアニメの研究などはある程度あったものの、短編アニメーションについてはほとんど先行研究がないという状況の中、まずはとにかくたくさん作品を見なければと思いました。そんな中、当時、海外の短編アニメーションに関する、日本における最もフレッシュな情報源が、山村さんのブログ「知られざるアニメーション」だったんです。
 山村さんは2002年の『頭山』以来、国際的に名の知れた作家として様々な海外の映画祭に参加されていました。そこで得てきた最新の短編アニメーション状況を、そのブログでシェアしてくれていたわけです。貪るように読みましたね。また00年代前半はDVDの時代でもありました。DVDを通じて、短編アニメーションが手軽に見られるようになった。買えるものは世界中から取り寄せました。
 国内のイベントも、イベント情報ブログ「FKJのスケジュール帳」などを参照にしながら、片っ端から通いました。そうしてアニドウの上映会や、その他短編アニメーション系の上映会に足を運んでいると、自然と同世代の作家さんたちとの交流が生まれていきます。
 00年代は美術大学でのアニメーション教育が本格化し、個人作家の数がグッと増えた時期でもあります。NHKの「デジタルスタジアム」や前述の「ユーリ・ノルシュテイン大賞」など、個人作家を評価する国内コンペも多かった。
 そして00年代半ばには、ブログ文化に加え、ちょうどmixiなどのSNSが登場し、似たような関心を持った人同士が繋がりやすくなったということもあります。実際僕がmixiで大山慶さんの作品をレビューしたところ、それをきっかけに本人とも交流を持つようになりました。
 山村さんと知り合うのは、その大山さんから「ノルシュテインで卒論を書いたんだったら山村さんに渡したほうがいい」と薦められたことがきっかけです。山村さんは大山さんの大先輩(東京造形大学)にあたる方で、繋がりがあったので紹介をしてもらえることになり、2006年3月、原宿アストロホールで「国際アートアニメーションインデックス」という短編アニメーションのコンピレーションDVDシリーズのイベントに出演されていた山村さん(その日はしまおまほさんと対談をしていました)に、卒論を直接お渡ししました。
 その後、山村さんから「若手作家や評論家を集めた勉強会を立ち上げたい」とお声がけいただいたんです。当時はちょうど僕自身も、大学院で研究をするにあたって、短編アニメーションの知名度があまりにも低すぎる状況に危機感を覚え、課外活動を行う必要性を感じていた時期だったこともあり、喜んで参加することにしました。
 その勉強会が、アニメーション制作・評論集団「Animations Creators & Critics」の結成に繋がります。山村浩二さんをリーダーとして、大山慶さん、和田淳さん、中田彩郁さん、荒井知恵さん、イラン・グェンさんと僕の6名に声がかかり、2006年8月から活動がスタートしました。


――勉強会の内容というのは?


土居 基本は山村さんによる、現代の短編アニメーションや映画祭文化に関するレクチャーですね。毎月一人の作家を取り上げ、山村さんのご自宅で、山村さんが海外から仕入れてきたDVDを上映して作品を観せてもらい、皆でディスカッションをしていました。
 Animationsの一つの目標は、短編アニメーションにおける「正統な歴史」を作りたいというものでした。00年代、日本ではいわゆる「アート・アニメーション」ブームがあり、短編作品や作家性の強い作品はほぼこの枠組みの中に入れられて語られていました。そのブームは『チェブラーシカ』の大ヒットやチェコ・アニメの人気によって商業的に先導されて、書籍では『アートアニメーションの素晴らしき世界』(エスクァイア マガジン ジャパン、2002年)や『ユーロ・アニメーション――光と影のディープ・ファンタジー』(フィルムアート社、2002年)などがその枠を固め、上映会ではイメージフォーラム・フェスティバルがこの言葉を積極的に打ち出しました。隔年8月に開催の広島国際アニメーションフェスティバルも00年代はものすごく盛り上がっていた記憶があります。
 そんな中、作家として海外のアニメーション映画祭に足繁く参加していた山村さんは、今一番面白いアニメーションを作っている作家たちについての知識までは共有されていないと思っていた。象徴的な作家は、プリート・パルンとイーゴリ・コヴァリョフです。当時はアレクサンドル・ペトロフやマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィットなどが人気でしたが、パルンやコヴァリョフは山村さんの紹介以前には「知る人ぞ知る」作家で、作品のとっつきにくさもあり、なかなか理解されているとは言えなかった。さらにその下の、現役で活躍する若い作家たちの情報は言うまでもありません。Animationsの勉強会では、日本でイベントや映画祭に参加したり、本を読むだけでは追いきれない、世界の映画祭で同時代的に活躍している作家の視点から見たアニメーションの現在を、山村さん経由で学ぶことができたわけです。


――その後、AnimationsはWebサイトを立ち上げます。


土居 ええ、ディスカッションを繰り返していくうちに、その成果をネット上に公開したほうがいいのではないかと、2007年4月に「Animations」のサイトを立ち上げて、座談会やレビューを掲載し始めました。ただ、結局僕がほとんどの記事を書くことになってしまって(笑)。そもそも作家は書くことで表現する人たちではないですし、とりわけ短編アニメーション作家は実作の中でも言葉の使用を不純なものとして嫌う傾向が強いので、余計にそうだったのかもしれません。その結果、僕の言葉ばかりが目立ってしまって、いろいろと問題になりましたね(苦笑)。「土居の評価=Animationsの評価」として見られるようになってしまって。


――水江さんは当時のAnimationsの活動をどのようにご覧になっていました?


水江 もちろん注目していましたよ。実際、あのサイトは作家の間での注目度がすごく高かったですからね。というのも、土居くん以前にはそもそも短編アニメーションについて日本語で何かを書く人がいなかったんですよ。そんな中でAnimationsは、ICAF(インター・カレッジ・アニメーション・フェスティバル/大学や専門学校などの教育機関で制作された学生作品を上映する映画祭、2002年からほぼ毎年開催)のあとには各学校についてのコメントが載り、上映会があれば次の日にはもう感想があがっていた。
 基本的に短編アニメーションの上映会は人が少ないし、感想をもらえる機会もほぼなかったですから、皆スルーされずにきちんと言及してもらえるのがうれしかったんでしょうね。また感想が上がるようになったことで、界隈にヒリヒリとした緊張感が生まれてたのもよかったなと。


土居 今では僕は新千歳空港国際アニメーション映画祭をやっていたり、本も出してたりしていますが、おそらく、個人・学生アニメーション界隈での僕の知名度というか認識のされ方は、当時のほうが高かったんじゃないかと思います。今は活動がある意味でオーバーグラウンドなものに移行してしまったことで、現場の作家や学生からはあまり存在が把握されていないような……活動の仕方の難しさを感じます。

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