東アジア文化都市2019豊島マンガ・アニメ部門スペシャル事業

マンガ・アニメ3.0

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21世紀初頭の日本における
インディペンデント・アニメーションシーンはどうなっていたのか(前編)
――土居伸彰が語る、Animations・CALF・ニューディアーでの体験土居伸彰+水江未来 対談

AnimationsからCALFへ

 

――CALFの結成は、その直後でしょうか。


土居 はい、Animationsが実質的に終わりを迎えるのと同時期に、大山さんが自分たちでも新しいレーベルをやろうと言い始めました。美大でのアニメーション専攻立ち上げブームがあった中で、海外の映画祭で評価される作家たちも増えてきたこともあり、同世代でがんばっている作家さんたちを応援するような何かを始めたいと。
 それで2010年、タマグラ出身の水江くんにも声をかけて、大山慶、和田淳、水江未来、土居伸彰の4人を設立メンバーとして、インディペンデント・レーベル「CALF」が立ち上げられます。


水江 僕を加えたというのは、幕末で言えば、徳川慶喜を新政府に入れようという提案した坂本竜馬と同じ発想ですね。


土居 その例がどのくらい伝わるのかわからないですけど(笑)、Animationsにいなかったタマグラ出身の人が加わったというのは確かですね。当時水江くんはブログもやっていましたよね。


水江 海外の映画祭などで観て面白かった作品のショートレビューを書いていたんです。


土居 水江くんは作家にしては珍しく、すごく積極的に各地の映画祭に行っていたんです。


水江 2007年頃、アヌシーに行く日本のアニメーション作家は僕くらいしかいなかったんですよ。僕も当時は、山村さんの「知られざるアニメーション」を読んで「こんなのあるんだ!」と知らない作品の情報に驚いていたんですが、でも実際に自分で映画祭に行って200本くらい一気に観てみると、山村さんがスルーしている作品というのもいっぱいあることがわかってきた。
 それで一人で行ったので話す相手もいないからと、なぜか観た作品の点数づけをして(笑)。今にして思い返すと、それを発信する気持ちがどこから来たものなのかよくわからないんですけど。


土居 そういう時代だったんですよ。まだネット黎明期で、個人でも世界に対して情報が発信できる、ということへの喜びと熱量があった。


水江 ブログ文化が盛り上がっていた時代ですからね。


土居 僕も2009年にアヌシーにはじめて行ったときは衝撃を受けました。基本的に日本で世界の短編アニメーションを観るには、広島(国際アニメーションフェスティバル)に行くしかなかった。だからそれが世界のアニメーションのすべてだと思っていたけれども、それは違うと山村さんが教えてくれた。


水江 しかも広島は隔年開催なので、下手すると二年遅れになりますからね。


――それに対して、実際にアヌシーに行くことで、その山村さんの紹介の、さらに外側にも短編アニメーションの世界が広がっていることが見えてきたと。


土居 そうです。ちょうどその頃、オタワ国際アニメーション映画祭のアーティスティック・ディレクターのクリス・ロビンソンが、国際交流基金の文化人招聘プログラムで初来日したんですね。ロビンソンは海外における当時ほぼ唯一の短編アニメーションの評論家でもあって、僕自身、とても参考にしていた人です。ファンと言ってもいいくらいです。それで自分が書いた評論を英訳してロビンソンに渡したところ気に入ってくれて。それをきっかけに、彼が編集長を務めるASIFA(国際アニメーションフィルム協会)の機関紙『ASIFA MAGAZINE』で作品評の連載をさせてもらったり、2010年のオタワの日本特集でキュレーションをやらせてもらったりするようになった。このあたりから、海外の映画祭シーンとの繋がりができてきて、さらにCALFの結成が決定打となり、今の活動に繋がる見通しが開けてきました。

 

2010年代の転換点、ひらのりょう

 

土居 また「Animations」の活動が終わった頃に一つ衝撃的だったのが、ひらのりょうくんの登場ですね。ハーツフェルト同様、これまでとまったく違う文脈の作家が出てきたという印象を受けました。


水江 それは何年ころ?


土居 『ホリデイ』がイメージフォーラム・フェスティバルで上映されたときなので、2011年ですね。震災の直後でもあった。ノルシュテインやコヴァリョフ、パルンの影響をすごく受けているんだけれども、それだけではない。他の短編アニメーション作家にはなかった「同時代性」みたいなものを感じました。
 僕の偏見かもしれないですが、00年代、アニメーションの作り手は基本的に、アニメーションしか好きじゃない、下手したらアニメーションも好きではなく単に絵を描くことが好き、というテンションの作家が多かった印象を持っています。一方でひらのくんは、アニメーション以外の同世代のカルチャーと通じ合うような作品を作っていた。ジャンルを超えた横の繋がりを感じさせる作家だったんです。「アニメーション界の中のアニメーション」ではなく「カルチャーの中で作られるアニメーション」というのが急に出てきた。
 ひらのくんはYouTube世代なこともポイントだったと思います。ティーンエイジャーのときからYouTubeがあって、アニメもミュージックビデオもコヴァリョフもパルンもノルシュテインも、すべてを並列的に捉えられる感性があった。


水江 YouTubeの登場による影響のすごさは僕も感じますね。


土居 それが多摩美のアニメーション勢力図の変化とも繋がってくる。それまではアニメーションを作るとなるとタマグラだった。でもひらのくんは、同じ多摩美でも、情報デザイン学科のメディア芸術コースという、アニメーションを専門的に教えていない場所からポンと出てきた。その学科からはその後も何人も注目すべき作家が出てきています。今では水江くんも教えてますよね。
 つまり00年代にようやく大学で短編アニメーションの教育が始まり、藝大だったら山村さん、タマグラだったら片山さんといったように、短編アニメーション歴史をある種「エリート教育」的に教えていく状況がある中、YouTubeやSNSの隆盛が、その歴史に紐づかない短編アニメーションの鑑賞と制作の形態を作り上げ始めた。そうした新たな世代の象徴がひらのくんなのかなと。
 もはや、アニメーションを作ることだけがゴールではなくなる世代の始まりとも言えます。ひらのくんは『FANTASTIC WORLD』(2014年~)でマンガ家としてもキャリアを重ねていますし、エンジョイ・ミュージック・クラブでミュージシャンとしても活動している。同じようにマルチタレントなアニメーション作家として、シシヤマザキさんの名前も挙げておきたいですね。彼女も歌を歌ったり、活動が幅広い。10年代、映画祭文化とはまた異なる、動画サイトやSNSを中心とした、短編アニメーションの新たな時代が幕を開けたわけです。

ひらのりょう『ホリデイ』予告編


後編へつづく】

 

聞き手・構成:高瀬康司

 

土居伸彰(どい・のぶあき)
アニメーション研究・評論・プロデュース。ニューディアー代表、新千歳空港国際アニメーション映画祭フェスティバル・ディレクター。ユーリー・ノルシュテインについての研究をベースに、配給・イベント企画運営・執筆・講演などさまざまなかたちでインディペンデント・アニメーションの振興にかかわる活動を行う。著書に『個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論』『21世紀のアニメーションがわかる本』(ともにフィルムアート社)。東アジア文化都市2019豊島ではマンガ・アニメ部門の事業ディレクターを務める。


水江未来(みずえ・みらい)
アニメーション作家。 細胞や微生物、幾何学図形を用いた音楽的なアプローチの抽象アニメーションを数多く制作。2011年、短編作品『MODERN No.2』が、ベネチア国際映画祭でワールドプレミア上映され、翌年のアヌシー国際アニメーション映画祭で、音楽賞を受賞。2014年、短編作品『WONDER』が、ベルリン国際映画祭でワールドプレミア上映され、同年のアヌシー国際アニメーション映画祭で、CANAL+CREATIVE AID賞を受賞。平成30年度東アジア文化交流使。

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