東アジア文化都市2019豊島マンガ・アニメ部門スペシャル事業

マンガ・アニメ3.0

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21世紀初頭の日本における
インディペンデント・アニメーションシーンはどうなっていたのか(前編)
――土居伸彰が語る、Animations・CALF・ニューディアーでの体験土居伸彰+水江未来 対談

Animationsの終わり、もしくはドン・ハーツフェルトをめぐって

 

――2010年前後には、そのAnimationsも実質的に活動を休止してしまいます。


土居 2008年、東京藝術大学大学院映像研究科にアニメーション専攻が設立されました。国立大学初の、アニメーションの教育機関です。山村さんはそこへ教授として就任なさって、オフィシャルな教育の場を持つことになったので、Animationsも一旦解散して、山村研究室の外部組織という扱いになりました。山村さんの視点による海外の作家の紹介は、現在まで続いている「コンテンポラリーアニメーション入門」の講座にゆるやかに引き継がれていった形でしょうか。
 藝大のアニメーション専攻設立は、00年代の美大アニメーション学科設立ブームにとっての決定打でしたね。2000年代前半は東京造形大学がまず目立ちました。今はキューライスという名前で人気作家になっている坂元友介さんや中田彩郁さん、そして大山慶さん。その後に、東京工芸大学。デコボーカルの二人や、植草航さんなどが出てきました。また00年代の終盤には、京都精華大学の石田祐康さんが話題になりました。石田さんは昨年、『ペンギン・ハイウェイ』(2017)で長編デビューもしましたね。東京藝術大学も、学部から青木純さんが出てきた。当時からパロディ色の強いエンタテインメント作品を作っていましたが、TVシリーズ『ポプテピピック』(2018)のシリーズ・ディレクターとして、その才能が存分に発揮されました。
 そんな中、常に優れた作家を輩出し続けてきたのがタマグラ(多摩美術大学グラフィックデザイン学科)です。加藤久仁生さんをはじめとして卒業後、制作プロダクション「ROBOT」で活躍する手描きアニメーション作家たちの一団もいれば、美術・マンガも含めて活躍している近藤聡乃さんもいた。もちろん水江くんもそうです。名物教授の片山先生の指導のもと、世界的に通用する作家たちがたくさん出てきた。東アジア文化都市2019豊島のPR映像を作っている久野遥子さんもタマグラ出身。この周辺の世代も、アヌシーで日本人初の学生部門グランプリを受賞した冠木佐和子さんやぬQさん、姫田真武さんなど錚々たる面々が集まっています。
 そうして次々と新世代の作家たちが現れてくる中、Animationsにおいても僕と山村さんのアニメーション観に少しズレが出てきた、というのもあったかなと思います。ドン・ハーツフェルトをめぐる評価が象徴的だったかもしれません。山村さんはハーツフェルトをあまり認めなかった。


水江 そうですね。ハーツフェルトを最初に観たのは2008年?


土居 そう、山村さんがオタワ(国際アニメーションフェスティバル)で観たハーツフェルトの『きっとすべて大丈夫』(2006)に対して辛辣なことを書いていたことが逆に気になって、アメリカからDVDを取り寄せて観てみたら、すごくよかった。『あなたは私の誇り』(2008)からはノルシュテイン並みの衝撃を受けました。
 ただ、「動きを作る芸術」をアニメーションの正統性として大切にする立場からすると、ハーツフェルトが受けつけられない作家だというのはよくわかります。ハーツフェルトは「語りのためのツール」「映画の一形態」としてアニメーションという表現を使っているから。そこで決裂が起こる。短編アニメーションがナレーションを忌避する傾向があるのに対し、ハーツフェルトはとにかくナレーションを使いまくっていましたし。ハーツフェルト自身が、アニメーション史の中に自分自身の活動を位置づけていなかったということもあるでしょう。
 僕としては、ハーツフェルトからは作品だけではなく、活動のモデルとしても大きくインスピレーションを受けた部分がありました。ハーツフェルトは短編作家としては珍しく、短編作品の制作だけで生計を成り立たせている作家なんですよね。作品を作って、映画祭で賞金を稼いで、Webでの活動をしっかり行いファンベースを作って(YouTube上への違法アップロードが彼の知名度を大きく上げました)、自作の上映ツアーをして、DVDやBlu-rayを売って、それで生活が成り立ってしまう。今でも少しずつ活動モデルを変えながら、第一線で活躍し続けています。
 それに触発されて、短編作品を通じて経済的にサステイナブルになることに興味が湧き、まず上映会をやりたいという思いが高まってきた。それで2010年9月に「Animations Festival」という上映会を、山村さんと僕の共同キュレーションで、吉祥寺バウスシアターで開催しました。二週間限定のレイトショー上映という形です。
 当時のバウスシアターは、爆音映画祭のフラッグシップ館でした。前々から、爆音映画祭の一プログラムとして短編アニメーションの上映ができないかと企画を持ち込んでみたりはしていたんですね。ただ爆音上映は調整に時間がかかるので、短編のコンピレーションだと本数が多いため調整が大変すぎると。でもあらためて相談してみたところ、企画としては面白いから、レイトショーでやってはどうかと逆提案をいただいたんです。
 当時はミニシアター自体が分岐点を迎えていて、一時期のブームは去っていた。映画館としても、新たなものをレイト枠で試してみたいというところがあったんでしょう。実際、Animations Festivalは(その後のCALFの上映会も含めて)、ミニシアターの一般的な客層と比べて若者・女性の比率が多かったんです。映画館としても、新たな客層を発掘できるかもしれないという期待があったのではないでしょうか。
 実際「Animations Festival」は非常に話題になって、ほぼ毎回満席になりました。そのときちょうど来日していたデヴィッド・オライリーにもゲスト出演してもらったりと、かなり盛り上がった。00年代も終盤にさしかかると、FacebookやTwitterといった新たなSNSが登場し、その勢いにも乗った形でしたね。とりわけTwitterの力が大きかったと思います。その後のCALFの活動にとっても、twitter黎明期の勢いは大きなあと押しになりました。


水江 でも結局「Animations」としての上映会は、その2010年のものが最後?


土居 2011年にアンコール上映として全国数ヶ所を回って終わりですね。第2回目以降の話は特に出ず、そのまま「Animations」自体も活動がなくなりました。

「Animations Festival Encore」予告編

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