東アジア文化都市2019豊島マンガ・アニメ部門スペシャル事業

マンガ・アニメ3.0

アニメはどう語られてきたのか(前編)
――氷川竜介が語る、人はなぜ感動するのか、
その感動の原点をいかにして残すのか氷川竜介インタビュー


『ヤマト』の一次資料から学んだアニメの原則

 

――その時期、氷川さんは『宇宙戦艦ヤマト』のファンクラブの会長も務められます。

 

氷川 74年11月に高校の仲間たちと制作中のスタジオ見学に行ったのと、怪獸倶楽部の会合参加が同じ時期で、融合の産物ですね。わかりやすさ優先でファンクラブと言っていますが、自分としてはリスト化、資料保全と、メカや設定の体系化が主目的でした。やはり『S-Fマガジン』で会員を募集しています。100人を越える多くの人たちが集まって、投稿によるコミュニケーションの場もできたし、パロディマンガや、『海底軍艦』(1963)など関連する映像作品の特集など、いろいろなことをやりました。
 ただ、そこで「言葉にして語ること」の難しさを思い知ることにもなります。作品から得た感動を他人に伝えたくて文章にしたはずなのに、確実に存在した感情と書かれた言葉の間に決定的な差があるとわかってきて、悩みました。
 そもそも、あらすじですらうまく書けません。画面で起こっていた出来事をまとめるだけだから、感情とは関係のない客観的な文章になり、誰がやっても同じになるはずなのに、大事なことが欠落してしまう。敵側と味方側の作戦が同時進行したりすると、文章にできない。「自分はいったい何を観ていたんだ?」と、まず自分の頭が信じられなくなりました。映像には言語化できない領域が確実に存在するという実感は、そこからです。そしてその経験が、「なぜ作品を面白いと思うのか」という研究の動機になっていく。自分の原点ですね。

 

――74年11月に「スタジオ見学」に行かれたとのお話ですが、当時からスタッフや関係者への取材もされていたのでしょうか?

 

氷川 「取材」という意識はないですが、桜台にあったオフィス・アカデミーの制作スタジオへ見学に行き、『ヤマト』の絵コンテや設定資料を入手して注意書きを読み漁ったり、直接お話をうかがった経験は大きいです。特に演出(チーフ・ディレクター)の石黒昇さんとは親しくなり、「宇宙空間で爆発しても破片は下に落ちない」「特殊な撮影をしてオプチカルプリンターにかけた」など、SFマインドや映像処理の手法を聞き出し、特にご自身がアニメ業界を志したきっかけが「エフェクト・アニメーション」にあるというエピソードは「アニメにも特撮相当の映像表現がある」「SF的発想は技術で映像化できる」という点で、これも大きな影響を受けました。ここで「面白さにも理屈があり、技術の裏打ちが必須」と知ったことは、自分の軸になっていきます。ファンが押しかけて仕事を邪魔し、ご迷惑をかけたという反省もありますが、それを語り継ぐことがご恩返しになると思っています。
 また『宇宙戦艦ヤマト』のためだけに作られた現場だったので、75年春に作品を終えたら解散し、劇場版のための一部素材以外のすべての資料を破棄することになりました。そこで設定制作の野崎欣宏さん(後に伸童舎を設立)に「自分たちが保管したい」と伝えたところ、絵コンテ、台本、セル画、原画、設定資料などを大量にまとめていただけました。今NPOで進めている一次資料の確保という収集活動も、遡れば最初から自然と始めていたことになりますし、それも「消えてしまう恐怖」に繋がっています。
 ただし、いただいた資料が一体何なのか、さっぱりわからないところから始まりましたよ(笑)。流石にセル画や背景は知っていましたが、まだアニメ雑誌のない時代ですから、原画に乗った黄色い紙が作画監督の修正であることすらわからないし、原画と動画の区別もできません。カット袋まるごといただいても、タイムシートが何のために存在するのか謎です。でも、自分の頭で推理したことで本質に迫り、分析力を鍛えることに繋がったと思います。たとえば絵コンテの「T.U.」や「T.B.」といった略語の意味を知らなくとも、完成映像と見比べればカメラが画面に寄り(トラックアップ)/引き(トラックバック)するカメラワークの指示だと見当がつく。一つずつ疑問を解き明かしていくことで、「アニメが技術の結晶」であり、驚きのある『ヤマト』の映像にも「特撮的な発想」の裏打ちがあるという、石黒さんの話がより深く理解できました。すべての映像が論理的に設計されていて、「なんとなく描かれたものはない」という「アニメの原則」を体感でつかめたのは運がよかったです。

 

――受け取った一次資料を手探りで解析しながら、実践的にアニメの原則を学ばれていったわけですね。

 

氷川 中でも一番役に立ったのは、カット袋のセルと背景を自分で組んで、静止画で撮影した経験です。セルは劣化するため、これも保存が動機です。写真の知識はあったので、無反射ガラスを買い、セルを組み合わせてフレームを決めて撮影することで、画作りがどうなっているのか原理がわかりました。事実上、アニメ現場の「撮出し」(演出が撮影に出す直前、素材の組み方やシートを確認する作業)と同じです。自分の写真技術は、のちに16ミリフィルムを複写することに繋がりますが、そこで画の連なりをコマ単位で見られたことも大きいです。私がアニメに対し、技術的な分析や解析を重視しているのは、こうした部分が先の「言語化できないエリア」を支えていると思うからです。しかも頭で理解するのではなく、手を動かした肉体的な経験が確信に繋がっているのです。
 さらに70年代後半になるとビデオデッキを買った先輩から作品をオススメされ、「布教の時代」が始まります。私と『無敵超人ザンボット3』(1977-78)の本格的な出会いも、怪獸倶楽部の徳木吉春さんに「絶対にこれを観て」と第16話「人間爆弾の恐怖」からの一連をビデオ上映されたのが原点です。『ザンボット3』と言えばアニメーターの金田伊功さんですが、なぜ多くのフォロワーが生まれたのか、その理由もビデオデッキの普及です。「金田さんのこのカットはこうすごい」と映像で実証できますし、動きのタイミングやポーズをコマ送りして調べることもできる。その発見の驚きが優れたアニメーターを多く生み出すことになったはずです。あの時代、若手からアニメの大きなムーブメントが起きたのは、技術的なインフラ整備と作画技術の解析というイノベーションの影響があるからなのですね。この事実も「アニメの面白さは科学技術的なもの」という考え方を裏打ちしています。

中編に続く】

 

聞き手:高瀬康司、土居伸彰、構成:高瀬康司、高橋克則

 

 

氷川竜介(ひかわ・りゅうすけ)
1958年生まれ。明治大学大学院特任教授、特定非営利活動法人アニメ特撮アーカイブ機構(ATAC)理事、アニメ・特撮研究家。東京工業大学卒。文化庁メディア芸術祭審査委員、毎日映画コンクール審査委員、東京国際映画祭アニメーション特集プログラミング・アドバイザーなどを歴任。文化庁向けに「日本特撮に関する調査報告書」「日本アニメーションガイド ロボットアニメ編」を執筆(共著)。主な著書に『20年目のザンボット3』(太田出版、1997年)、『細田守の世界――希望と奇跡を生むアニメーション』(祥伝社、2015年)など。

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