東アジア文化都市2019豊島マンガ・アニメ部門スペシャル事業

マンガ・アニメ3.0

アニメはどう語られてきたのか(中編)
――氷川竜介が語る、人はなぜ感動するのか、
その感動の原点をいかにして残すのか氷川竜介インタビュー


ニフティサーブがアニメ語りの下地を作った

 

――では氷川さんがアニメ語りにおいて、そうした歴史的・社会的視点を重要視され始めたきっかけというのは?

 

氷川 まず時代が平成になる頃、全体状況の激変がいくつかありました。一点目は、90年代の「アニメ・特撮を語るブーム」の到来です。『ウルトラマン研究序説』(中経出版、1991年)と『磯野家の謎――「サザエさん」に隠された69の驚き』(飛鳥新社、1992年)の2冊がその先駆けですが、どちらも主体が作家・作品ではなく論者・社会にあるのが特徴です。『ウルトラマン研究序説』は、『ウルトラマン』を観ていた子どもが科学者、有識者に成長した視点から作品を振り返ればどのように語れるのか、というコンセプトです。私と同世代が30代に突入し、社会の中核を支え始めた時期です。アニメや特撮も、一部好事家が深掘りして楽しむものではなく、自分たちの共通体験、共通認識、シンボルとして扱った点が過去類をみないものでした。それがベストセラーになったことを通じ、『ウルトラマン』を「自分の子どもにも見せたい」と思った人は多いはずです。主従で言えば、「作品が主で観客が従」というポジションが逆転し、「観客が主」となる時代の始まりです。
 二点目は、88・89年の幼女連続殺人事件(宮崎勤事件)で、いわゆるオタクバッシングが巻き起こったことです。そのことで逆に、「アニメや特撮には研究し、語る社会的価値がある」と理論武装する必要に迫られたわけです。90年代中盤から、岡田斗司夫さんが東京大学で「オタク文化論」の講義を行い、「オタク学入門」を執筆するなどの啓蒙的な活動がその代表で、それが「オタク学叢書」の誕生に繋がっていきます。
 また三点目として、自分にとって特に大きかったのが、ニフティサーブのアニメフォーラムにおけるネットワーク・コミュニケーションですね。

 

――インターネット以前、1987年に開始されたパソコン通信のニフティサーブですね。

 

氷川 はい。出版物は媒体に選ばれた人だけが書ける特権的なものですが、誰もが大勢に向けて文章が発表できるようになったわけです。これは90年代に起きた「革命」です。そしてネットワークを通じた意見交換が始まったことで、私が同人活動のときに直面した「言葉にすることの難しさ」と「楽しさ」が拡大していきました。
 パソコン通信の場合、放送されてすぐ感想が書かれるなどリアルタイム性が加わり、コミュニケーションに重きが置かれるようになりました。同人誌なら編集期間も含めて誰かに届くまで1ヶ月はかかりますが、パソコン通信なら即時書き込め、すぐにでもリアクションが返ってくる。スピード感あふれる議論で、自分一人ではとても考えつけなかったレベルの発想にも至れるようになりました。かつて私は怪獸倶楽部の会合で多くの違う考え方から刺激を受けましたが、全国規模に拡がっていろんなバックグラウンドを持つ参加者の間で同じようなことが起きたわけです。年齢・職業など多様な人たちとのコミュニケーションを通じ、自分の中にも「独りよがりではなく、より普遍的に大勢へ伝わる言葉は何か」という意識が芽生えていったと思います。

 

――ニフティサーブではどのようなやり取りがなされていたのでしょうか。

 

氷川 現在のSNSに近いことは一通りあったと思います。ネットバトルも当然あり、解決に悩んだりしました。LD(レーザーディスク)の普及期ですから、全国で同じ時間にソフトを再生し、作品を観ながらチャットをする、アニメ実況やニコニコ動画に近いこともすでに行われていました。
 そんなアニメフォーラムの中では、なぜか自分の投稿が目立っていきました。専門性に加え、一時期スタッフとしていろんな方をケアしたからでしょうか。そして90年代中盤には、ニフティにも参加していた岡田さんの「オタク文化論」の講義に招かれ、コミックフォーラムのリーダーだったササキバラ・ゴウさんからキネマ旬報社のムック『動画王』の立ち上げに呼ばれるなど、ネットの参加から再びアニメや特撮の商業的な場に関わる機会が増えました。
 特に印象的なのは『動画王』の打ち合わせですね。ササキバラさんは宝島社のムック『別冊宝島』シリーズを例に挙げました。「新書」はサラリーマンなど時間のない読者が簡便に教養や専門知識を蓄えるもので、今は『別冊宝島』がサブカルチャーの新書的な存在になっている。ただし、映画やマンガはともかく、アニメはそこに「席」がない。本が出ても存在感が乏しい。なんとかしたい。なるほどなと思いました。どういう風に作品を観て、どういう風に論じればいいのか、基礎教養が整備されていないわけです。これは「文化になっていないこと」を意味します。業界から距離を置いていただけに、ものすごく大きな問題意識を抱きました。
 「アニメを語るブーム」の言説にも、違和感がありました。『新世紀エヴァンゲリオン』(1995-96・97)の大ヒットで書籍が大量に出回っていた時期ですが、大半は「謎本」です。「この謎はこう解釈できる」とか「聖書にこんな記述がある」みたいな話ばかりで、「アニメとして」「映像として」語る文章が見当たらない。「これってアニメ鑑賞に何か役立つのかな?」と疑問でした。もちろんそうした言説にも、哲学者、社会学者、アーティスト、ミュージシャンなどを巻き込んでブームを盛りあげた意味はありますが、こと「アニメを語る」という最も重要な部分について、ドーナツのようにスッポリ抜け落ちている。これは「アニメは文化になっていない」とも繋がっています。
 また申し訳ない話ですが、『動画王』創刊号を読んだとき、他の書き手の多くにも「空洞化」の印象を持ったんです。特に自分の分析、意見、スタンスがない。著作で一番の肝である「ユニーク性(その著者にしか書けないこと)」が伝わってこない。それは「アニメ評論」を真剣に考えてこなかった自分のツケなのかもしれないと思いました。

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