東アジア文化都市2019豊島マンガ・アニメ部門スペシャル事業

マンガ・アニメ3.0

アニメはどう語られてきたのか(中編)
――氷川竜介が語る、人はなぜ感動するのか、
その感動の原点をいかにして残すのか氷川竜介インタビュー


『20年目のザンボット3』を手がけた理由

 

――氷川さんはその直後から、表舞台で大きな仕事を多数手がけられるようになります。まず97年には初の著書『20年目のザンボット3』(太田出版、1997年)を上梓されますが、その経緯というのは?

 

氷川 『動画王』で「アニメを語ること」に疑問を抱き始めた頃に、『無敵超人ザンボット3』のLD-BOXが97年に発売されることがわかりました。そのとき「メジャーなタイトルとは言えない『ザンボット3』ですらパッケージ化される時代、“映像として残る”については、もう心配しなくてもよさそうだ」と思いました。長年の「作品が消える恐怖」に、ケリがついたのです。ところが同時に、「作品は残る。しかし視聴者がどう思ったか、何を得たか、作品にどんな意義があるか、文字にしなければ消える。永遠にわからなくなってしまう」という新たな危機感が、「空洞化への疑念」とともに生まれました。特に若い人にきちんと向かい合わないと、後世への連鎖が途絶しかねない。
 同時に旧来的な評論の限界も感じていました。アニメは集団作業の産物ですから、作者は監督とイコールではありません。クリエイションが一様ではなく無数のネットワークのようになっているのです。もしフィルムが残っても、作品を読み解く手段が、いわゆる「テキスト論」だけになるとイヤだな、それはほかの人でもできると思ったのです。もっと自分にしかできないことはないか。作品をどのように受け止めていたのか、制作資料など一次情報の裏打ちで体系的に提示する切り口、著者として単一の視点で総合的に読解する作業が必要ではないか。そう考え、ササキバラさん経由で岡田斗司夫さんから「オタク学叢書」という受け皿を得て、『20年目のザンボット3』の執筆に取りかかりました。

 

――著すにあたりこだわられた点は?

 

氷川 隅々まで自分の著書にしようと。それを可能とするために一番大きかったのは、パソコンによる技術革新です。文章はもちろん、レイアウトも含め、頭から終わりまで「すべてを自分が責任を持って一人で統一的にやってみよう」ということです。そこに「著作としての新規性」が宿ると思ったのです。会社ではプロジェクト・マネージャーをしていたので、台割やスケジュール、To Doリストなども全部データで可視化し、進行も基本は自己管理です。打ち合わせもニフティ上のSNS的機能を使って共有化しました。 あの本はDTPを自分で操作し、全ページの構成をデザイナーへの指示として作っています。時期的にパソコン最初の成熟期だったのですね。岡田さんの事務所オタキングで原画をスキャンしてもらい、ビデオキャプチャを使うなど、素材のデジタル一元化は大きかったです。70年代は16ミリのフィルムを回し、熱いライトに照らされながら1コマずつカメラで複写していましたが、そうした労力を大幅に減らせました。
 アナログ時代、同人誌のレイアウトはパズルの世界で、拡大縮小率や素材を貼る場所を間違えると、やり直しです。商業はデザインラフを手で描いてデザイナーに渡しますが、精度が悪い。しかしDTPというお皿の上に、テキストや図版など食材を全部データ化して配置すれば、思いどおりにコントロールした料理ができます。そうやって全ページにわたり統一された意思で著作を作る時代がついに到来したのだ、という手応えを感じていました。
 どの写真を選び、どのサイズで載せ、どのコマを連続で見せるのか、大小つけるのか。そこも含めて自分にとっては著作です。お客さんがページを開いたとき、活字を見るのか写真を見るのか。どんな情報をどの順番でインプットするのか。ページネイションを追及するのは、アニメの絵コンテを設計するのと同じです。誌面にもアニメと同じ「レイアウト(配置)」がありますから、その巧拙で情報がどう伝わるのか根底から変わる。こうした「アニメと繋がった感じ」で置かれたテキストは、違う感覚で読めるのではないかと思ったのです。あの本を「ムック」と呼ぶ人が多いのですが、「ムックに偽装した著作」と反論しているのは、こうした理由です。でも、発想の新規性は、結局誰からも評価されなかったですね(笑)。新し過ぎたということでしょう。
 220ページにわたる紙面を思い通りに作った『20年目のザンボット3』は、紙やポジフィルム、原稿用紙をまったく使っていない完全デジタル入稿です。「これからはこういう時代が来る!」と思いましたが、あまりにも大変でした。雑誌やDVDの記事に応用するのがやっとで、あんな作り方をできた著書は、私自身もこの1回限りになりましたね。

 

――原画をふんだんに使った「金田伊功ギャラリー」の解説は、氷川さんが金田作画のどこに感動していたのかが手に取るようにわかりとても印象に残っています。

 

氷川 アニメの面白さを伝える基本は、目で見ただけでは忘れてしまう印象を再現することです。だったら視覚印象は、視覚で伝えるべきだと思ったのです。だからこそ完全コントロールが必要だという理屈です。「こういう点に感動していた」という気づきは、読み手に「自分もやってみよう」とクリエイションを触発することにも繋がります。今でもエンジニアのバックグラウンドを活かしたいと、常々思っています。そうした解析手法を駆使した方法論で、いつかはデファクトスタンダードに到達したいんです。それが本当の意味での啓蒙に繋がると確信していて、そのために旧来の評価体系では収まり切れない新規提案、イノベーションが必要だと思っています。『20年目のザンボット3』には、そういった気持ちが満載です。なぜならば、「『ザンボット3』がそういうマインドの作品だったから」です。

後編に続く】

 

聞き手:高瀬康司、土居伸彰、構成:高瀬康司、高橋克則

 

氷川竜介(ひかわ・りゅうすけ)
1958年生まれ。明治大学大学院特任教授、特定非営利活動法人アニメ特撮アーカイブ機構(ATAC)理事、アニメ・特撮研究家。東京工業大学卒。文化庁メディア芸術祭審査委員、毎日映画コンクール審査委員、東京国際映画祭アニメーション特集プログラミング・アドバイザーなどを歴任。文化庁向けに「日本特撮に関する調査報告書」「日本アニメーションガイド ロボットアニメ編」を執筆(共著)。主な著書に『20年目のザンボット3』(太田出版、1997年)、『細田守の世界――希望と奇跡を生むアニメーション』(祥伝社、2015年)など。

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