東アジア文化都市2019豊島マンガ・アニメ部門スペシャル事業

マンガ・アニメ3.0

「高畑勲展」から考える(前編)
――美術館学芸員が語る、マンガ・アニメと展示鈴木勝雄+金澤韻対談

 『太陽の王子 ホルスの大冒険』『アルプスの少女ハイジ』『火垂るの墓』『かぐや姫の物語』といった数々の名作の監督、宮崎駿監督の師、スタジオジブリの創設メンバー、日本におけるアニメーション表現の革新者、現在に至るまでのスタンダードの多くを確立した功労者――2018年4月に82歳で惜しくも亡くなられた高畑勲監督の功績は、とても一言で語りきれるものではない。
 そんな高畑監督の創造の軌跡を追う展覧会「高畑勲展 日本のアニメーションに遺したもの」が、2019年7月2日から10月6日まで、東京国立近代美術館で開催されている。絵コンテ、レイアウト、原画、背景美術などの制作素材はもちろんのこと、高畑監督による自筆の企画メモやテンションチャートといった貴重な資料が豊富に並ぶ。
 今回はその「高畑勲展」をきっかけとし、同館主任キュレーターの鈴木勝雄氏と、現代美術キュレーターの金澤韻氏に、「マンガ・アニメと展示」をテーマにお話をうかがう。
 アニメーションを専門とはしない、主に歴史的アプローチにより時代を浮かび上がらせる展示を手がけてきた鈴木氏は、どのようなコンセプトのもとでこの展覧会に臨んだのか。また川崎市市民ミュージアムでマンガの展示に関わってきた経歴を持つ金澤氏は、それをどう見たのか。前編では、それぞれの視点からこの「高畑展」を紐解いてもらった。

 

聞き手:高瀬康司、土居伸彰、構成:高瀬康司、高橋克則

高畑勲監督と近代美術館の相性


――はじめに今回の「高畑勲展」の企画の経緯からうかがえるでしょうか。


鈴木 もともと今回の「高畑勲展」は、われわれ国立近代美術館の側から働きかけたのではなく、高畑さんがご存命だった頃に、メディアの側からご提案をいただき動き出した展覧会です。


金澤 そうだったんですね。ご提案を受けたときはどう思われました?


鈴木 当館はこれまでアニメーションとは縁遠かったため驚きはありましたが、高畑勲さんがテーマであればうまくいくだろうとも感じました。というのも当館では1990年に手塚治虫さんの展覧会を行っていたんですね。美術館でサブカルチャーを取り上げるのは当時はまだ珍しく、大きな話題になりました。
 しかしその後がなぜか続かず、私が当館の学芸員になったのは1998年ですが、漠然と「いったい誰の展覧会ならできるだろうか?」という思いは抱き続けてきました。そんな中で舞い込んだお話で、「手塚さんの次に開催するのは高畑さんしかいない」という妙な確信がありましたね。
 それは、それぞれの表現形式に対する貢献の度合いや亡くなられた直後というタイミングの問題だけではありません。「なぜ近代美術館でアニメーションの展覧会を行うのか?」という当然の疑問に対しても、私は高畑さんであれば明快に説明できると感じていました。その表現の幅はアニメーションに限定されるものではなく美術、文学、音楽等、ジャンルを超えた広がりを持っていましたし、実際に高畑さん自身が「手で描く絵を動かすことによって、実写や美術と異なる、どのような表現が可能なのか?」という問いに自覚的な非常にモダンな思考の持ち主でしたから、近代美術館という枠組みと相性がいいと思ったんです。


――展覧会のコンセプトはどのように固まっていったのでしょうか?


鈴木 実のところ、当初は高畑さんと一緒に作っていく予定で準備を進めていました。高畑作品のみならず、高畑さんが影響を受けた映画やアニメーション、美術、文学、音楽など、他ジャンルのあらゆる表現を混ぜ込むような展覧会です。アニメーションを通して総合芸術を作ろうとした高畑さんの頭の中を、「展覧会」という形式で表現しようとしていました。


――その企画案を聞いた高畑監督の反応はいかがでしたか?


鈴木 こちらのプレゼンに対してはイエスともノーとも返されずに、「やりたいと言っている人に、やれないとは言えないよね」くらいの反応でしたね(笑)。ただ打ち合わせができたのはその一度だけで、そのわずか数ヶ月後に訃報の知らせが入りました。


――なるほど……。それでコンセプトを一から練り直された?


鈴木 はい、高畑さんがいなければ実現できない内容でしたから。それで展覧会中止の可能性も含めて関係者で協議を重ねた末、このタイミングだからこそ、高畑さんが東映動画に入社した最初期から遺作となった『かぐや姫の物語』までの歩みを丁寧に展示していくという、オーソドックスな回顧展の形式に立ち返ることにしました。結果的に、高畑さんがアニメーションという表現形式を拡張していったプロセスが見えやすくなったのではないかと思っています。

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