「高畑勲展」から考える(前編)
――美術館学芸員が語る、マンガ・アニメと展示鈴木勝雄+金澤韻対談
高畑勲監督の思想が根づく
――一方で、金澤さんは2006年から2013年まで川崎市市民ミュージアムの学芸員として、マンガの展覧会に携わられてきました。今回の「高畑勲展」は、同業者としてどのようにご覧になりましたか?
金澤 本当に充実した展覧会でしたね。資料が多岐にわたっていて、さらに数も膨大だったので、同じ学芸員として編集が非常に巧みだと感じました。
高畑さんはキャリアの長い大作家ですし、作品だけでなくアニメーションという表現形式も同時に作り上げてきた方ですから、展示するうえで様々な切り口が考えられると思います。そんな中、高畑さんがアニメーションを通じて実現しようとしたことがはっきりと浮かびあがる内容だったので、「高畑さんはすごい」と感動すると同時に、そういった場を作り上げた「「高畑勲展」もすごい」と(笑)。展覧会という表現形式の可能性を感じましたね。
鈴木 金澤さんにそう言っていただけたのはとてもうれしいです。確かに展示資料は準備を進める中でどんどん膨れあがり、最初は500点くらいかと想像していたのですが、いつの間にか1000点を超え、最後には誰もその数をカウントできなくなったほどでした(笑)。
金澤 大変だったことでしょう。同業者として素直に尊敬します。また一個人としては、この展示を通じて「私は高畑さんのアニメを観て育ったんだな」ということに気づかされました。『アルプスの少女ハイジ』のコーナーでは、第1話で描かれた、急斜面を登るハイジが暑くなって服を脱いでいき、最後は身軽になって山を駆け上がっていくシーンがフォーカスされていましたが、そこで涙腺崩壊状態になってしまって(笑)。「あなたは何かに囚われている。それを脱げば楽になるんだ」というメッセージとして、知らず知らずのうちに私の中に根づいていたんだと思います。こういったことが、高畑さんがアニメーションを通じて語ろうとした「思想」だったのかなと思いましたね。
鈴木 なるほど。高畑さんはアニメーションという表現を通して「思想」を語り、社会に対して働きかける姿勢を生涯にわたって失わなかった人です。「思想を語る」と聞くと、つい社会的・政治的な理屈っぽいものとして捉えがちですが、高畑さんのそれはもっと等身大で、生きていくうえで彼が大事にしてきたものを扱っています。金澤さんが「根づいていた」とまでおっしゃるのも、そうした高畑さんの創作姿勢ゆえのことなのかもしれませんね。
金澤 そうですね。もっと言うと、『かぐや姫の物語』に顕著ですが、高畑さんがなぜこれほど女性の気持ちを代弁しえたのかは、とても興味深いことです。日本のアニメーションにおける女性像に対しては、フェミニズム的な観点からの批判も多いですが、その中で高畑アニメは奇跡と言ってもいい。彼の依拠した1950年代的なものにその精神が宿っていたのか……戦後の精神史と文化の流れとともに掘り下げてみたいところです。
「高畑勲展─日本のアニメーションに遺したもの」会場風景
撮影:木奥惠三