東アジア文化都市2019豊島マンガ・アニメ部門スペシャル事業

マンガ・アニメ3.0

「高畑勲展」から考える(後編)
――美術館学芸員が語る、マンガ・アニメと展示鈴木勝雄+金澤韻対談

中間制作物が語るクリエイションの裏側


――そんな状況の中、お二人は美術館でマンガやアニメを展示することの意義についてどうお考えなのでしょうか?


鈴木 「高畑勲展」の記者発表の場で、「国立近代美術館ではなく国立映画アーカイブでやるべき展覧会ではないですか?」という質問を受けました。映画を専門に扱う部門があるのだから、もっともな疑問です。私はそれに対して「美術館という場所でアニメーションの展示をすることは、アニメーションそのものを理解するうえでも重要だと考えます」と返しました。本編映像を観ているだけでは決して目に触れる機会のない中間生産物に触れ、これだけのクリエイションがあった事実を知ることは決して無駄なことではないだろうと思うからです。

「高畑勲展─日本のアニメーションに遺したもの」会場風景
撮影:木奥惠三


金澤 私は、美術館におけるマンガ展の意義は、歴史や社会、他の表現領域との接点を見せることだと思っています。たとえば川崎市市民ミュージアム時代は、漫画部門の収蔵品も江戸時代のものからありましたし、博物館部門もあったので、民俗や歴史の分野から収蔵品を借りて一緒に展示するなど、対象を多面的に示す努力をしてきました。
 自分たちの文化を検証して反芻すること。そして別のクリエイティビティを喚起させること。もしキュレーションによって歴史や社会や他のジャンルとの接点を見せられなければ、観客が「自分はマンガファンだから、こっちの展示は関係ない」と思うような分断が進んでしまうなと。


鈴木 私も他ジャンルと比較しながら視野を広げていく方向性は、展覧会の可能性の一つだと思い意識しています。その意味で金澤さんが過去にやられた、マンガを本として享受するだけではない、別の体験のレベルにまで持っていくための工夫は是非うかがってみたいですね。


金澤 2010年に行ったマンガ家の横山裕一さんの展覧会「横山裕一 ネオ漫画の全記録:「わたしは時間を描いている」」では、トラフ建築設計事務所に展示デザインをお願いし、サーキットのような、環状のテーブルのうえに原稿を置いて、右から左へ一枚ずつ歩きながらマンガ作品を鑑賞してもらうスタイルにしました。外側の壁には絵画を展示していたので、作品を読みながら歩いている内にいつのまにか展示室内の立ち位置が変わるため、見える風景も変わるという仕掛けです。横山さんの作品が旅をテーマにしていることとも響き合っています。たとえば『NIWA』はある庭を探索するという内容ですし、『トラベル』というそのままのタイトルの作品もあります。横山さんの世界観と登場人物、そして観客の行動がオーバーラップするような空間構成にすることで、マンガの特性を浮かびあがらせると同時に、鑑賞体験の面白さも感じてもらうという狙いでした。


鈴木 なるほど。横山裕一さんの作品をメディアを変えてプレゼンテーションすることによって、マンガにおける書籍とは別のポテンシャルが見えてくるわけですね。そして他作品や他ジャンルとの比較が、別の領域に連れ出してくれるきっかけにもなると。


金澤 そうですね。だから純粋に現代美術の展覧会として来場された方も多かったんですよ。会場には横山さんのスタジオも作っていて、実際に本人がマンガを描いていました。観客の方から「何なのかよくわからないけど来ました」というコメントもいただきましたが(笑)、私はマンガやアニメを現代美術と地続きで見ています。たとえばインターネット・アートを映像インスタレーションにした十和田の「ラファエル・ローゼンダール:ジェネロシティ 寛容さの美学」展も同じですが、マンガも展示のかたちにすることでその創造性を見せたかった。作品や作家を単にファンダムの小さな部屋へ押し込めて終わりにしたくなかったんです。

Related Posts