東アジア文化都市2019豊島マンガ・アニメ部門スペシャル事業

マンガ・アニメ3.0

演出家が振り返る東映動画(前編)
――黒田昌郎が語る、小田部羊一や高畑勲らと歩んだ日々黒田昌郎インタビュー

エフェクト作画のためのライブアクション


――正式に演出助手となってからは、どのような仕事をされたのでしょうか?


黒田 まずは製作進行(制作進行)の手伝いですね。夕方5時になったら原動画を回収して、できあがったカットを記帳し進行に渡す、といった作業です。


――最初に参加された作品は?


黒田 コマーシャルだったので名前までは覚えていませんが、長編映画は『西遊記』からです。その前の『少年猿飛佐助』(1959)には関わっていません。


――『西遊記』の演出は、クレジット上では藪下泰司さん、手塚治虫さん、白川大作さんの3名になっています。


黒田 大川博社長が「クレジットなんて見てる人はいないんだから、名前は少ないほうがよろしい」という方針だったので、名前が載るのは主要スタッフだけだったんです。実際には、チーフ助監督だった白川さんの下で助手をしていました。


――同期の高畑さんや池田さんも『西遊記』に参加されていたんですか?


黒田 いえ、私だけです。59年入社の3人はそれぞれ別作品で動いていて、たとえば高畑は『安寿と厨子王丸』(1961)に演出助手としてついていましたが、私は参加していません。日本アニメーションに移ってからは、お互いにコンテを切ったり切ってもらったりという関係になりましたが、東映動画時代は一緒に仕事をしたことはないんです。


――『西遊記』の現場でのエピソードをうかがえますか。


黒田 制作中に手塚さんが、私物のディズニー作品の16ミリフィルムを持ってきて見せてくださったのは印象に残っていますね。作品名までは覚えていませんが『シリー・シンフォニー』シリーズは何本か入っていた気がします。


――手塚さんは作品の参考用にと持ってこられた?


黒田 いえ、手塚さんはお気に入りの作品をみなに観せたかっただけだと思います(笑)。ただ、私はどうしても気になって、手塚さんにお願いして1コマ1コマ模写させてもらいました。


――気になってというのは?


黒田 アニメーションの秘密を知りたいという気持ちが強かったんですよ。私以外の連中もことあるごとにやっていましたが、実際に模写してみると、「オバケをこんなところに使うのか」とか「ここは流線で逃げるんだな」とか、いろいろな発見がある。今はデジタルの時代なので、DVDをコマ送りにすればどんな風に動くかは簡単に調べられますが、当時はフィルムが手元になければできなかったので、貴重な経験でした。


――なお初期の東映長編では、役者の演技を撮影して、そのフィルムを下敷きに作画をするライブアクション方式を部分的に取り入れていましたが、『西遊記』ではいかがでした?


黒田 使っていました。私も滝壺のシーンのために、静岡の浄蓮の滝まで、カメラマンと撮影助手の3人で行きましたよ。冬の寒い時期に、わざわざ重たいミッチェル撮影機を担いで行ったんですが、滝の水が枯れていてほとんど流れていませんでした(笑)。


――滝でライブアクションを撮影したというのは、具体的に何をされたんですか? 誰かが滝に飛び込んだ?


黒田 そんなことをしたら死にますよ(笑)。滝ではどのように水が落ちていくのか、その動きを理解するための撮影です。水の流れをお手本もなしに描くのは難しいので、いわゆるエフェクト作画の参考にしようと。撮影したフィルムは通常のライブアクションと同じように、動画用紙にコマ単位でトレースしました。その作業も私がやったんですが、水の光をうまく拾って線に置き換えるのは難しかったですね。


――人間の芝居以外にもライブアクションが使われていたんですね。


黒田 ええ、『シンドバッド』でも、人間ではなく馬の動きの参考にするために使いました。馬が画面に対して縦方向に走るのを描くのは非常に難しいですからね。
 また(アニメーションの)「撮影」の参考にするためにライブアクションを使うこともありました。


――「撮影」の参考というのは?


黒田 船に乗って本物の海へ出て、海面の流れをカメラで撮ったんです。同じ海でも、どんなサイズの船に乗るか、どの場所から見るかによって波の揺れ具合は違って見えますよね。なのでいろいろな角度から撮影し、そのフィルムを分類して撮影スタッフに見せ、どう撮影すればシーンごとに本物らしい波の立ち方になるのか検討してもらおうと。ただ撮影スタッフからは、「それなら黒ちゃん(黒田さん)がやってよ」と言われてしまい、マルチプレーンカメラの一番下の段に置かれた大判の空の背景を、私が手でずらすことになりました(笑)。空の動きを頭の中で想像しながら、1コマごとに1mm以下の細かさでずらしましたね。


――ライブアクションにも様々な用途があるんですね。ちなみに黒田さんは、朝の連続テレビ小説『なつぞら』(2019)へも時代風俗考証として関わり、「ライブアクションの撮影」シーンの撮影現場にも立ち会われたとうかがっています。高畑監督については、新人時代にカチンコを叩くのが下手だったという逸話が知られていますが、作中でも演出助手の坂場一久が同様のミスを重ねていたり……。


黒田 ただ、『安寿と厨子王丸』のライブアクションで、高畑がカチンコを叩いていた記憶なんてありませんけどね。私も作品に参加していないとはいえ、現場にはときどき見学に行っていたんですが、そんな光景は目にしていません。そもそもライブアクションの撮影では普通、カチンコなんて使いませんからね。
 噂の元はおそらく、東映撮影所に行ったときの話ではないでしょうか。高畑は『暗黒街最大の決斗』(1963)という実写映画で助監督をやらされていましたから。

 

聞き手:原口正宏、高瀬康司、構成:高瀬康司、高橋克則

 

後編へつづく】

 

黒田昌郎(くろだ・よしお)
1936年5月21日生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1959年5月2日、東映動画に演出助手として入社。『アラビアンナイトシンドバッドの冒険』(1962、藪下泰司と共同)『ガリバーの宇宙旅行』(1965)で演出(監督)を務める。その後、ズイヨー映像(のちに改組して日本アニメーション)へ移籍。主な監督作品に、世界名作劇場シリーズの『フランダースの犬』(1975)『シートン動物記 くまの子ジャッキー』(1977)『家族ロビンソン漂流記 ふしぎな島のフローネ』(1981)『ピーターパンの冒険』(1989)など。

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