東アジア文化都市2019豊島マンガ・アニメ部門スペシャル事業

マンガ・アニメ3.0

マンガ批評とマンガ研究の結節点(前編)
――伝説の「漫画史研究会」とは何だったのか宮本大人+ヤマダトモコ対談

 夏目房之介『マンガ学への挑戦――進化する批評地図』(NTT出版、2004年)、伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド――ひらかれたマンガ表現論へ』(NTT出版、2005年)、秋田孝宏『「コマ」から「フィルム」へ――マンガとマンガ映画』(NTT出版、2005年)、そして『ユリイカ』2006年1月号「特集:マンガ批評の最前線」(青土社、2005年)――。
 マンガをめぐる言説は、90年代に夏目房之介らによる「マンガ表現論」がマスメディアを通じて広まったのち、00年代後半から大学にマンガ学科が設立され始めることで、より精緻に磨き上げられてきた。しかしマンガ論が、そうして在野での批評・研究からアカデミズムへと移行する過程において大きな役割を果たした「漫画史研究会」の存在は、あまり広くは知られていないだろう。メディアへの露出も、研究会の成果報告も存在しないこの「漫画史研究会」はしかし、その後のマンガ批評・研究の進展を大きくあと押ししたミッシング・リンクとも言える存在だ。冒頭に挙げたマンガ論史上のメルクマールとなる書籍群は、「漫画史研究会」をきっかけとした成果の一例である。
 「漫画史研究会」とは何だったのか。秋田孝宏氏とともに発起人となった、マンガ史研究者の宮本大人氏とマンガ展キュレーターのヤマダトモコ氏の2人に話を聞いた。この前編では、漫画史研究会の問題意識とコンセプト、そして活動の黎明期の話をお届けする。

 

聞き手:高瀬康司、土居伸彰、構成:高瀬康司、田中大裕

ゆるいけど、ぬるくない


――本取材の発端は、東アジア文化都市2019豊島内の企画でマンガ研究家の夏目房之介さんにインタビュー(前編後編)をした際に、取材しておくべきマンガ研究・批評史上の重要なミッシングリンクとして、「漫画史研究会」の名前が第一に挙がったことでした。夏目さんたちが行ってきた在野でのマンガ批評から、アカデミズム内でのマンガ研究への橋渡しを行ったのが「漫画史研究会」なのだと。
 そこで今回は、秋田孝宏さんとともに研究会を発足した、宮本大人さんとヤマダトモコさんのお二人に、当時のお話をうかがえればと思います。
 まず「漫画史研究会」は知る人ぞ知る存在にもかかわらず、残した成果は膨大に挙がります。夏目房之介さん、鈴賀れにさん、瓜生吉則さん、そして宮本さんとヤマダさんら5名によるレビュー集『マンガの居場所』(NTT出版、2003年)を嚆矢に、漫画史研究会をきっかけにさまざまな研究書・批評書が刊行され……。


宮本 そうですね。ご本人たちにそういう意識がなかったら申し訳ないですけど(笑)、たとえば伊藤剛さんの『テヅカ・イズ・デッド――ひらかれたマンガ表現論へ』(NTT出版、2005年)、永山薫さんの『エロマンガ・スタディーズ――「快楽装置」としての漫画入門』(イースト・プレス、2006年)、竹熊健太郎さんの『マンガ原稿料はなぜ安いのか?――竹熊漫談』(イースト・プレス、2004年)、秋田孝宏さんの『「コマ」から「フィルム」へ――マンガとマンガ映画』(NTT出版、2005年)、小田切博さんの『戦争はいかにマンガを変えるか――アメリカン・コミックスの変貌』(NTT出版、2007年)、また『ユリイカ』2006年1月号「特集:マンガ批評の最前線」(青土社、2005年)などは漫画史研究会をきっかけに世に出た著作と言っていいと思います。アニメの分野でも、津堅信之さんの『日本アニメーションの力――85年の歴史を貫く2つの軸』(NTT出版、2004年)などがそうですね。


ヤマダ 今にして思えば、現在いろいろなところで活躍している方たちが、たくさん参加していた会ですよね。何度か来られた方だけでも、夏目房之介さん、竹熊健太郎さん、永山薫さん、伊藤剛さん、瓜生吉則さん、富沢達三さん、鷲谷花さん、吉村和真さん、小田切博さん、津堅信之さん、森川嘉一郎さん、川原和子さん、金田淳子さん、斎藤宣彦さん、池川佳宏さん、ベアトリス・マレシャルさん、イラン・グェンさん等々、切りがありません。『少女クラブ』でトキワ荘の作家たちを育てた丸山昭さんや、『少女コミック』で萩尾望都さんや竹宮惠子さんなど大勢の作家たちを育てた山本順也さんのような編集者さんも来てくださっていました。


――現在のマンガ研究の礎を築いた錚々たるメンツですが、どのような雰囲気の研究会だったのでしょうか?


ヤマダ 「研究会」と名乗ってはいてもあまり堅苦しいものではなくて、会員名簿もなければ会則もない、何か共通の目的を持つ組織立った団体でもない、参加者の紹介さえあれば誰でも参加できる、ある意味すごく「適当」な会合だったんですよ(笑)。


宮本 そうそう、10年以上にわたって毎月定期的に開催していたんですが、何をやっているのかよくわらない人もいましたし(笑)、途中から秋田さんが連絡用のメーリングリストを作ってくれたんですが、その登録者は3桁に達していました。充実した研究発表があるときもあれば、ほとんど雑談だけで終わるときもあるような自由な会合だったんです。

 また個人的には「ゆるいけど、ぬるくない」会という意識でやっていて、むしろその「ゆるさ」、管理のしなさが継続の秘訣だったんだろうとも思います。特に世話人の秋田さんが、ものすごく放任主義だったところがよかったんでしょうね。


在野研究のほうがアカデミズムよりも進んでいる


――研究会では参加者が「発表」を行っていたとのことですが、それはマンガ史に関するものが中心だったのでしょうか?


宮本 いえ、テーマも発表したい人の自由でした(笑)。「漫画史研究会」という名前も、何回か開催したあとに、僕の提案でなんとなく決まったものです。個人的には、何をどう語るにせよ、「歴史」という視野を持つことは意識したいと思っていたので。


ヤマダ マンガの言説の歴史を踏まえて議論しよう、という意識はある程度共有されていたと思いますよ。特に今では優しい宮本さんも、当時は会の中でも一番厳しい方だったので(笑)、たとえばあるマンガ家をテーマに卒論を書きたいという学生が発表をした際にも、研究内容に関する主要文献を読んでいないことがわかったときは、厳しく指導していたことをよく覚えています。


宮本 僕も発足時はまだ20代で若かったんですね(笑)。ただ当時のマンガ論は、在野の研究者・批評家の方々による成果が次々と積み重なってきた時期だったので、それらをきちんと踏まえたうえで発展させることが重要だと思っていたんです。


――あらためての質問になりますが、漫画史研究会を設立した当時の、マンガをめぐる言説はどのような状況にあったのでしょうか。


宮本 まず1990年代前半に夏目さんの著作が続々と世に出て、さらに1994年から1995年にかけて四方田犬彦さんの『漫画原論』(筑摩書房、1994年)、大塚英志さんの『戦後まんがの表現空間――記号的身体の呪縛』(法蔵館、1994年)、夏目さんや竹熊さんによる『マンガの読み方』(宝島社、1995年)などがほぼ同時期に出版されます。また1996年からはNHK BSで『BSマンガ夜話』の放送も開始され、単なる作品紹介にとどまらないマンガ批評が、テレビというマスメディア上で展開された。つまり90年代を通じて、在野の研究者の活躍によってマンガ批評が活性化され、それにともないマンガを読み解くことの面白さが広く認知されるようになったわけです。


ヤマダ 私も1991年に川崎市市民ミュージアムで仕事を始めるまで、マンガ批評に触れたことがほとんどなかったんですね。お金を払ってマンガ批評を読むくらいなら、マンガを買って読んだほうが楽しいと思っていたんです。でも、いざ夏目さんたちのマンガ批評に接してみると、ものすごく面白かったんですよ。マンガに対する関心の持ち方、語り方にはいろいろな角度があって、自分とは違う考えに触れることは、自分の中のマンガの読み方をアップデートすることにもつながるんだなと実感しました。


宮本 そしてそんな夏目さんたちの活躍を受けて、90年代後半から大学院でアカデミックなマンガ研究を志す学生がちらほらと現れ出した。それが僕らの世代です。だから先行世代のマンガ批評の熱量を、アカデミックなマンガ研究の分野にきちんと持ち込むことが僕らの世代の役割だろうと感じていましたし、漫画史研究会でも明確に、アカデミズムと在野の間に壁を作ってはいけない、むしろマンガでは在野のほうが研究が進んでいるのだから、僕らアカデミズムの研究者は教えを請う立場にある、という意識でいましたね。


漫画史研究会の沿革(1)


――大枠のコンセプトをうかがったところで、「漫画史研究会」の歩みについても順にうかがえるでしょうか。そもそも発足の経緯というのは?


宮本 1996年に、当時川崎市市民ミュージアムのマンガ部門で学芸員をされていた細萱敦さんと「若手研究者が定期的に集まる場があるといいよね」という話をしたのが直接のきっかけです。僕が東京大学の博士課程に進学した頃ですね。


ヤマダ それ以前から細萱さんや秋田さん、私といった川崎市市民ミュージアムのスタッフの間では「研究者が集まる場を作りたい」という機運はあったんです。そこへ宮本さんがやって来た、というのが私の認識ですね。
 またちょうどその頃、細萱さんと秋田さんが大阪にある大阪府立国際児童文学館へ見学に行ったのですが、そのときに経葉社という、芸術・文化関連のアーカイブ事業にかかわっていた会社の社長だった岡本明さんも一緒で。岡本さんはすごく面倒見のいい方で、研究会の構想をお話ししたところ、いろいろと根回しをしてくださったそうなんです。それで、第1回だけは1997年2月7日に早稲田大学坪内博士記念演劇博物館の館長室で行ったんですが、第2回以降しばらくは、岡本さんのご厚意で経葉社の一角をお借りして開催していました。


宮本 初回の参加者は、川崎市民ミュージアムから細萱さん、秋田さん、ヤマダさん、糸山敏和さん、姜竣さん、マンガ編集者の浅川満寛さん、少年少女雑誌の資料調査のスペシャリストでのちに秋田さんとともに「戦後日本少年少女雑誌データベース」を立ち上げる在野の研究者の三谷薫さん、経葉社から岡本さんほか社員数名、演劇博物館のスタッフという、合わせて13名でしたね。


後編へつづく】

 

聞き手:高瀬康司、土居伸彰、構成:高瀬康司、田中大裕

 

宮本大人(みやもと・ひろひと)
1970年生。漫画史・表象文化論。明治大学国際日本学部准教授。共著に『マンガの居場所』(NTT出版、2003年)。編著に『江口寿史――KING OF POP Side B』(青土社、2016年)。


ヤマダトモコ(やまだ・ともこ)
1967年生。マンガ研究者、マンガライター、マンガ展キュレーター。明治大学米沢嘉博記念図書館展示イベント担当スタッフ。共著に『マンガの居場所』(NTT出版、2003年)。

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