東アジア文化都市2019豊島マンガ・アニメ部門スペシャル事業

マンガ・アニメ3.0

21世紀初頭の日本における
インディペンデント・アニメーションシーンはどうなっていたのか(後編)
――土居伸彰が語る、Animations・CALF・ニューディアーでの体験土居伸彰+水江未来 対談

  山村浩二、大山慶、和田淳、水江未来、折笠良、ひらのりょう、冠木佐和子、久野遥子――。現代の日本のインディペンデント・アニメーションシーンに関心があれば、知らない人はいないだろう要注目のアニメーション作家たちだ。
 東アジア文化都市2019豊島のマンガ・アニメ部門事業ディレクターである土居伸彰は、この10年、アニメーションに対して研究・評論の分野で携わるだけでなく、上記のすべての作家たちの活動に寄り添ってきた、いわば歴史の立会人でもある。そんな土居に、ユーリー・ノルシュテインに触発されてから2019年現在までの約20年間の体験を、盟友であるアニメーション作家・水江未来氏とともに、シーンや社会の変遷も交えつつ振り返ってもらった。
 この後編では、前編で語られた大山慶、和田淳、水江未来とのインディペンデント・レーベル「CALF」の設立以降における、作家のDVD発売や「変態アニメーションナイト」「GEORAMA」などの上映活動の狙いと達成、そしてニューディアー代表としてのこれからの挑戦まで、日本におけるインディペンデント・アニメーションの現在を紐解く。

 

聞き手・構成:高瀬康司

 

インディペンデント映画にアニメーションを位置づけるCALFレーベル

 


――あらためてCALFのお話を順にうかがっていきたいのですが、まず設立は2010年。


土居 はじめに前提として、CALFには、レーベルとしてのCALF(以下、CALFレーベル)と、現在プロダクションとして活動しているCALF、その2種類があるんですね。後者は前者から生まれてきたもので、それなりに繋がりもありますが、僕が設立に関わったのはCALFレーベルのほうで、2010年8月に広島で立ち上げイベントをやっています。なぜ広島なのかと言えば……。


水江 広島国際アニメーションフェスティバルの開催期間中に上映イベントをぶつけたんですよ。


土居 広島アニフェスのその日の最終上映が終わったお客さんたちがハシゴできるような会場と時間設定にしたんです。150席ぐらいの劇場は満員になりました。


水江 ちなみに8月の広島での立ち上げイベントの前にも、6月にザグレブ(国際アニメーション映画祭)とアヌシーでCALFレーベルのチラシをいっぱい配っていたんですよ。映画祭のスタッフがシアターの前で観客賞の投票用紙を配っている横で、僕と大山さん、和田さんでCALFレーベルの存在を知らせるチラシを配布したんです。そういう地道な活動もあって、CALFレーベルの名前が映画祭関係者の間にある程度広まっていた。


土居 自分で言うのもなんですが、CALFの結成は当時、日本で短編アニメーションを作っている人たちの間ではすごくセンセーショナルに捉えていただいたと思います。
 実際、2010年8月に、座・高円寺でやったCALFレーベルの立ち上げイベントは250席がソールドアウトとなりました。短編アニメーションではなかなか実現が難しい数字です。実写畑から平林勇監督や真利子哲也監督をゲストに呼び、アニメーション外の人からも注目してもらえるようにしたことも大きかったと思います。繰り返しになりますが、Twitterでの拡散も大きかった。
 またCALFの立ち上げにあたっては、僕としてはハーツフェルトから受けた影響が大きかったんですね。彼は自分を、「アニメーション」ではなく「インディペンデント映画」の人だと見なしていたわけですが、僕としては、CALFレーベルも同じように位置づけたかったんです。なので翌2011年に「CALF 夏の短編祭」という上映会をやったのですが、そこではアニメーションと実写映画を混ぜこぜにして上映しました。若手アニメーション作家の作品と一緒に、立ち上げイベントにも参加してもらった真利子監督や平林監督はもちろん、今年『愛がなんだ』(2019)が大ヒットした今泉力哉監督や、『嵐電』(2019)の鈴木卓爾監督、先月(2019年6月)Netflixでドラマを撮影することが発表されたばかりの三宅唱監督など実写監督の作品も上映しました。真利子監督も『宮本から君へ』(2019)の映画版公開が今年控えていますね。なので今から考えると豪華な布陣だったわけですが、そうして実写映画と並べて上映することで、アニメーションを「インディペンデント映画」の中に位置づけ直そうと試みていたわけです。
 そこには、00年代において短編アニメーションが括られがちだった「アート・アニメーション」という名称への違和感も背景にありました。「アート・アニメーション」という言葉が、「アニメとは違うもの、オシャレなもの」として短編作品を大雑把に括るような意味を帯び始めてしまった。使われ始めた最初はそういう意図があったわけではなく、単に存在が認知されていないタイプのアニメーションをおおまかに指す程度のものだったと思うのですが、結果的に、ある種の選民思想・特権意識みたいなものを浸透させてしまうことになった。一般的なアニメは芸術的ではない、自分たちのやっていることは高尚な芸術だ、みたいな捉え方をしてしまう人たちもいて、アニメの方々からのいらぬ反発を招いたりもした。
 そういう状況に対して「インディペンデント」というニュートラルな立場にアニメーションを正しく位置づけ直すことが、インディペンデント・レーベルとしてのCALFのやるべきことだと考え、活動していたわけです。

 

「CALF 夏の短編祭」予告編


――結成後の具体的な活動内容をうかがえるでしょうか。


土居 まずやったのがDVDの制作と販売ですね。結成と同時に、水江くんとトーチカさんのDVD(『水江未来 作品集 2003-2010』『トーチカ 作品集 2001-2010』)を制作し、全世界に向けて販売しました。日本語と英語の字幕を入れて、ジャケットも日英表記。最初の頃は、売り込みも、発送作業も、様々な場所での販売も、自分たちでやりました。
 DVDを作ったのは、短編作家が作品から売上を上げられるようにするため、という理由はもちろん大きいですが、DVDとして形にすることによって、日本に新しい世代の短編アニメーション作家が出てきたということをアピールしやすくなるからです。なので、シリーズ名は「Japanese Independent Animators」としました。
 2010年あたりは、CALFレーベルの作家たちが世界中のアニメーション映画祭で評価され始めてきた時期で、作家たち個人も映画祭に参加していました。そういう場所でもコツコツと売ることで、CALFおよび日本の新たなシーンをアピールしていったんです。海外の映画祭から、日本のインディペンデント・シーンを紹介してくれ、という依頼も届くようになり、そういうときは僕がキュレーションをして、CALFレーベル以外の作家も含めて、日本の現状を伝えるプログラムを組みました。僕は英語ができたので、そういう意味で重宝されましたね。今に至るまで続く世界の映画祭界隈の関係者との繋がりも、この頃から強固になっていきました。
 2010年秋に「和田淳作品集 2002-2010」をリリースした際には、シアター・イメージフォーラムなどミニシアターで、和田さんの特集上映(「和田淳と世界のアニメーション」)をやり、映画館でしっかりとDVDを売りました。DVDはどれも1000-2000枚ほど売り上げたんじゃないでしょうか。悪くない数字だと思います。一般的なメーカーから出している短編のコンピレーションでも、そこまで売れていないものもあったようなので。大手のメーカーがやるには規模が小さくて扱いづらいけれども、インディーズでやるにはちょうどいい市場規模があったわけです。短編アニメーションは特殊な世界なので、大手メーカーの流通の仕方では非効率になってしまうという部分もあったのかもしれません。一方で、僕らはどこでどうすれば売れるのかがわかっていた。まあ、こういう話もDVD自体が下火になっている今では昔話ですが……。
 ただ、CALFレーベルが売っていたDVDは、作家の10年近い成果を1枚にまとめたものです。コンスタントに出せるものではない。作家たちの現在進行系の姿を見せるにはどうすればいいかということで、上映イベントも積極的にやりました。先ほど話に出した「CALF 夏の短編祭」や、和田さんが『グレートラビット』(2012)でベルリン映画祭の銀熊賞を受賞したときには、その受賞記念として「『グレート・ラビット』と世界のアニメーション傑作選」の劇場公開も行いました。その年のベルリンは、実写を含めて日本人の受賞がほかになかったこともあり、授賞式後は和田さんは引っ張りだこになりました。民放はほぼすべての局から出演依頼があったんじゃないでしょうか。ベルリンをはじめとする(アニメーション専門ではない)映画祭を狙っていく映画祭戦略も、「映画」という枠組みに自分たちを位置づける試みだったと言えるかもしれません。水江くんもベネチアやベルリンで上映されています。

「『グレート・ラビット』と世界のアニメーション傑作選」予告編

 

 同時並行で、プロダクションとしてのCALFが次第に形作られていきました。それは、インディペンデント映画との繋がりが運んできてくれたものでした。
 CALFレーベル結成の前後の時期、大山さんと和田さんが、鈴木卓爾監督の映画『ゲゲゲの女房』(2010)のアニメーションパートを担当したことがありました。昔の『墓場鬼太郎』の絵柄をそのまま動かすというスタイルのアニメーションです。かつて山村浩二さんの劇場公開を手がけたスローラーナーの越川プロデューサーから、いいアニメーション作家はいないかと相談を受けて、僕が二人を紹介していたことがきっかけでした。
 そうしたら、それを見た代理店の人から「マンガをそのまま動かすスタイルのCMを作りたい」という声がかかったんです。その流れでCALFはプロダクションスタジオとして法人化しました。それからしばらくは、CALFレーベルとプロダクションとしてのCALFが一体化した形で進んでいきました。会社をプロダクションの仕事で維持しつつ、お金になりづらいイベントや劇場公開などを「配給部門」として引き続き展開していく形です。僕はプロダクションとしてのCALFには直接的には所属してはいなかったのですが、配給部門にアドバイザーやプログラマーとして関わっていました。

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